「起きたらおなかが痛くなって学校に行きたくなくなる」と子どもは言う。
自室に引きこもってゲームばかりしているわが子を心配し、友人に相談したら「怠けている」と断じた。
困難に負けてほしくない。しかし現状を思うと不安でたまらない……。
私の子どもは、わがままで怠けているのか?
大人にとって階段は道ですが、子どもにとっては壁かもしれません。
しかし立ち止まって壁を見つめる子どもは、道を理解しようと必死なのです。
成長したいと願う気持ちは誰にでもあります。
子どもを変えようとせず、
自分の行動を変える親でありたい。
目次
不登校の子供を無理やり変えられない。親が変えられるのは自分自身だけ
本当に改善したいのか
「変えられるのは自分自身だけ」と聞いて「なるほど〜」と感じた人はラッキーですね。それだけこの記事を見た意味がある。
しかし多くの人は「それはわかっている」と思ったのではないでしょうか。
「変えられるのは自分自身だけ」という考え方は残念ながらきれいごとになっている。自分を変えるのは難しい。具体的な方法がわかりにくいのです。
だから子どもを変えることで問題を解決しようとする。
しかし最終的に行動を選択しているのは本人です。
親が無理やり矯正したり懇願したりしても、それらを子どもが前向きに受け取れないから学校へ行く気になれない。
では子どもが悪いのでしょうか?
そんな不毛な詮索はしない。悪者を作り出し責任を押し付けても何も解決できない。
子どもが不登校をやめるために親ができることは、
親の行動を変える以外にありません。
わがまま放題と言えども、わが子に関心を持っている
今、インターネットで不登校について調べているなら、確実に親は子どもに関心を持っています。関心は子育ての絶対条件です。
その関心は愛情によるものでしょうか?
もし愛情がよくわからなくなっているのなら一度考えてみる。
- 子供の幸せとはなにか
- 自分の幸せとはなにか
- 愛情とはなにか
これらは当たり前すぎて、なかなか考えていない。自分の心に深く問いかけることで見えることがある。
愛情は自然に発生しますが、困難に負けず愛情を認識し続けるためには努力を要します。
愛が愛である唯一の状態は、自分で働きかけをしているときです。愛は人から離れ行動に変わる。
つまり愛を感じるのは、自分から愛する他にはありえないのです。
だれも解決してくれない
不登校は専門家の支援を受けやすい。
スクールソーシャルワーカーや心理カウンセラーに相談して問題解決にのぞむ姿勢はよいと思います。
しかし心の問題に特効薬はありません。変わろうとする自分の力が改善につながります。
まずは親が自ら変わろうとする気持ちが何より重要になる。
一方で専門家の処方がうまく働き、親が関与しない中で子供の不登校が改善したとしても、根本的な問題は解決されないでしょう。
子どもに対して一番の影響力を持つ親の依存心がなくならない限りは問題が再発するかもしれない。
子どもが自立できたとしても、心の問題を抱え続ける親は自分以外の外的な物事に心の安住を求め続けてしまう。
主体性を持つ
親子がともに主体性を持つことを目指します。
主体性とはしたいことを自ら責任を持ち実行することです。
良い結果も悪い結果も自分の問題として受け止め、他人(親子も含む)のせいにせず、科学的な探究心を持ち試行錯誤により成長を志す気持ちのことです。
親が子どもにできることを一言で表すと
- 主体性を持つ支援
です。
そのためには親の主体性を確立する必要がある。
主体性は何により生まれるのでしょうか?
成長したいと願う基本的な欲求が主体性を引き起こします。
不登校でも成長したいと思っている。原因よりも前を見る
成長の欲求を仮定しないと支援のしようがない
2000年に公開された山田洋次監督の映画「十五才 学校Ⅳ」に以下の詩が登場します。
一夜限りの深い心の交流をした不登校の家出少年と引きこもりの青年の二人。
二人の別れ際に引きこもりの青年が家出少年に送ったジグソーパズルの裏側に書いてありました。
草原のど真ん中の一本道をあてもなく浪人は歩いている
ほとんどのやつが馬に乗っても浪人は歩いて草原をつっきる
早く付くことなんて目的じゃないんだ
雲より遅くて十分さ
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
葉っぱに残る朝露
流れる雲
小鳥の小さなつぶやきを聞き逃したくない
だから浪人は立ち止まる
そしてまた歩き始める
出典:十五才 学校Ⅳ
映画を見た経験がないと実感ができないかもしれませんが、成長の欲求がうまく表現されていると感じました。
親が子どもを大切に思う気持ちが大きくなればなるほど反応を確かめたいと焦ってしまい、相手に求める結果が望み通りに返ってこないと失望する。
子どもと親はお互いに自分が認められたいと思っています。
親は子どもの実情を度外視して子どもに結果を求める。子ども次第で自分の優劣を感じてしまう。
人はゆっくりとしか変化しません。
例え一夜にして人格が変わったとしても、下積みされた前向きな思いがそれを実現するのです。
引きこもってすることは、無力感による痛みをその場しのぎの快楽でごまかし続ける作業です。
ゲームやインターネットで得られる刺激は現実の苦しみを一時的に忘れさせてくれる。
しかし無力感が肯定されるわけではなく、停滞した活動に自己不信を感じる。
本当は誰でも成長したいと思っています。
成長してきた過程は常に快感を伴いました。それが気持ちがよいと誰でも知っているのです。
学びに向かう意志と、子どもなりのペースを認めて、援助をすることが必要なんです。
努力とは本当にしたいことを選び続けること
学校に適応するというのは
- 成長欲求に従い学びや活動に興味を持ち、自制心を発揮して積極的な参加をすること
というのと、
- 周囲の環境から阻害されることを恐れ、自分の表現を抑圧し活動に参加すること
という2つの方向性が考えられます。もちろん成長欲求に従う事を目指すべきです。
抑圧と自制は全く違います。抑圧は投げ出す気持ちです。恐れに負けて自我を消そうとすること。
自制は成長のために今するべきことを的確に選ぶ力になる。
つまり自制を積み重ねることが努力なのです。
環境に流されず主体性を持ち、夢や希望をかなえるために学びと活動を楽しむ。
その先にある快感を知らなければ努力はできない。だから結果を期待して負荷の強い行動ができる。
しかし結果は良いときと悪いときがあり、長く待たなければいけないときもある。結果だけを待ち続けては挫折してしまう。
自分がしている活動が結果を生むと信じて、今の自分を認めながら努力を実感し幸福感を得れば挫折は防げます。
そのために重要なのは客観的な視点による自己分析です。それが試行錯誤につながる。
この基本さえわかっていれば、徐々に成長のスピードは早まっていきます。
結果よりも過程を重視する考え方
結果を焦らない
例えば仕事ができない新人を見て先輩は「なぜこんな簡単なことができないのか」と嘆く。
結果は現時点で認識ができ評価を下せる。一方で苦労をした経験はなかったことにでき、過剰に表すこともできる。
目の前にいる能力がない人を認めずに劣等者の烙印を押すのは、偏った評価に過ぎません。
そして新人が経験を積みベテランになったら、仕事ができない新人を見て嘆く。……この繰り返しです。
同じように大人は子どものありのままの感覚を認められない。過度な期待を勝手に感じて、勝手に失望する。
学校Ⅳの引きこもった青年のように、人それぞれ大切にしたい物事と歩むペースがあります。
自分のペースは成長を楽しみ生きている実感を得る最適な速度と言ってもよい。
それを守れば子どもは成長を楽しく感じる。楽しいと思えることは人をぐんぐん伸ばすのです。
何よりも周りの雑音に影響されない心が人間を成長に導きます。
主体性をもっと知る
親が不登校の子どもにできる支援
親の道徳観を見つめ直す
主体性は成長に向かう気持ちから生まれてくる。
成長は根本的な信念を基準にします。信念が自分の目標を作るのです。
信念はどこかで拾ってくることはできません。自己啓発書を読んでも人格は変わらない。
正解の計算式を手に入れたとしても、未熟な人の心は変数が大きすぎて答えが安定しません。
根本的な信念は道徳観により構成されるものです。自分自身で納得がいくまで考えることにより強化されていきます。
自己啓発書でよい道徳観を見つけたら、自分なりの解釈を磨く。
その繰り返しが自分の主体性を育てることを忘れず、謙虚な気持ちで自分に向き合い続ける。
自分なりの信念を作る
時間を作る
子どもに向き合う時間が足りない。
そう感じるなら子育てに向き合って得られる幸せと、その他の快楽を見比べます。
- その残業は子どもをないがしろにしてまで、しなくてはなりませんか?
- お金をかけずに楽しむ方法はないですか?
- 家族の幸せよりも物欲を大事にしたいですか?
- 現実の子供に向き合うよりも、未来の大学入学資金のために家庭をないがしろにするのは逃げではないですか?
不安は自分の判断を狂わせます。本当にするべきことを見失わない。
子どもの主体性を育てるには親子で協力しあえる関係が必要です。
そのためには親が変わらなければならない。
人間が変わるというのは行動が変わることです。考えは行動に移して初めて変わったと言える。
貧しさが子どもをダメにするわけではない。
心の貧しさが子供の成長を妨げるのです。
もし収入が減ったとしてもコンパクトな生活に変えて乗り切ります。
収入が減っても幸せは減らない
手段より学びに向かう力を重視する
学校へ行くというのは一つの教育手段です。発想が生み出される最低限の知識を蓄え、社会での振る舞いを体験し道徳観を学びます。
筆者は学校には行ったほうが良いと思います。ここでしかできない体験があり何より科学的なカリキュラムは一定の信頼を持ちます。
しかし消極的ですが学校に行かないという選択肢も認められる。
主体性を持ち学びに向かう力を持つことが成長の条件になる。学校に行くことで主体性が持てないのなら、こだわる必要はない。
子どもが明らかに自分ひとりで本を読み漁り知識と技術を高め続けられるのなら、不登校でも成長を続けられる。
大事なのは主体性であり手段と目的を履き違えないことが重要です。
もちろん学校に行き友達と交流し、協働で問題解決をする力を育むことは才能を生かす武器になる。
親と子どもで学校に対する認識を一致させておきたいですね。
学校教育の科学的手法を取り入れる
関係を育てる
関係に重要な要素は2つです。
- 十分な愛着
- 心理的安全性
十分な愛着
子どもは親に認められることで安心感を得られます。
何があっても愛情を注がれることを知った子どもは情緒が安定する傾向がある。
心理的安全性
自分の考えをためらわずに言えて、周りの人の考えを素直に受け止め生かそうとする態度があれば、親と子どもが協働して成長にむかえます。
心理的な安全は批判への恐れがない建設的な人間関係の中に生まれます。
これらは
- 何があっても味方であるという態度
- 主従関係のない並列の対話
- 親が成長し続ける姿勢
によって強化される。
特に親は子どもに対し「よくやった」「だめだ」と評価的な態度を示しがちです。まずは一方的な評価をやめる。
成長という共通の目的をお互いに見据え、前向きな改善を導く対話をする。評価は親子で科学的な検証をします。
並列の対話は
- 子ども優先の発言割合
- 否定をせずに考えを生かす態度
に配慮して実現します。
子どもは大人に比べて発想の種が少ないです。しかし自分の主体性は本人でしか高められません。
子どもから出たアイデアを育てる方向で対話をするように気をつけておけば、充実した協働の対話ができる。
親は子どもの考えを促進する立場を徹底します。
また努力は伝染します。親自身が成長をしようとする態度は子どもに伝わります。
人はいつまでも未熟であり、成長の喜びはつきないことを大人の背中で知る。
親自信も努力により今後の人生でできることが増える。もし仕事を辞めて収入が少なくなったとしても、努力次第では増やすこともできます。
スモールステップの計画を立てる
親と子どもで協働的な対話ができるようになったら、実際に改善に向かう準備が整うでしょう。
ここで気持ちが焦って苦しまないために、行動の枠を定めるテクニックを使います。
一度に試す改善策は1つずつにする。例えば
- 子供の自室で子供の好きな話を毎日30分話す
- 子供の自室で毎日1時間話す
- 居間で毎日1時間話す
- 居間で毎日1時間勉強をする……など
次のステップにすすむのは子どもに決めてもらうほうがよい。改善策も子どもが中心となって考える。
なにか明確な目標を決めるよりは、臨機応変に学びに向かう態度を育てたい。
子どものサポータとして良い支援ができるといいですね。
短期目標の具体的な作り方
おさらい
親が不登校で悩んでいる子どもにできることは、主体性を育む支援です。
十分な愛情と親子の信頼関係が前提ですが、そのために
- 親が行動を変える
という絶対的な基本姿勢があります。
まずは自分が変わるという決意をし、子どもに向き合う時間を作る。
そうすれば自分の価値観に固執せず、子どもの価値観を理解できる環境が整います。
子どもは親を満足させる存在ではない。
そして親は子どもを満足させる存在でもない。
愛は自分で生み出し、自分を満たすのです。
人は成長をしたいという基本的な欲求がある。
子どもは一人で成長しますが、軌道に乗るまではガイドが必要です。
保護者は子どもの成長をガイドする責任がある。
いったん泣いて考えを整理する
不登校の少年が人に頼る気持ちを弱め、主体性を持つまでのプロセスを描いた名作です。