具体的な自己成長プラン

やくしじのプロフィール|大分の自己成長カウンセラー・ブロガー

投稿日:2018-12-03 更新日:

やくしじのプロフィール|大分の自己成長カウンセラー・ブロガー

はじめまして。当ブログ「きみろーる」を運営するやくしじ(薬師寺亮)です。

プロフィールのページを開いてくれたこと、とてもうれしく感じています。

僕はブログの運営のほかに、心理学をベースとした大人の精神的成長を支援する活動をしています。

(少し恥ずかしいですが)僕のパーソナリティを話させてください。

大分の自己成長カウンセラー:薬師寺亮のプロフィール

ブログの趣旨・やくしじの略歴

  • 明るい未来の社会は人々の良質な幸せによりもたらされる
  • 主体性を持ち、社会への貢献をのぞみ、自分の成長に喜びを感じる

それが今を生きる人たちの新しい姿であり、責任でもあることは、もはや真理のように思えます。

しかしかつての僕と同じように社会に流され、感情的になり、迷いや満ち足りなさを感じている人たちがとても多い。

そのことから「前向きに成長を楽しみたいと決意できた人たち」を支援したいという熱意をもってこのブログをはじめました。

僕は20代まで携帯電話販売代理店の店長業務と、プロを目指すアマチュアミュージシャンの2足のわらじを履き、心休まることのない生活を送っていました。

音楽活動を辞めた後、アルコール依存が深刻化する。30代前半で生きる活力を失い、バーンアウトしてしまう。

休息のために実家に戻り、1年間ほぼ引きこもり同然の暮らしをしていました。

常に虚無が頭から離れず現実逃避して過ごしていましたが、貯金がなくなり働かざるを得なくなります。

そこで出会ったのが小中学校に訪問し先生を支援する「ICT支援員」の仕事です。この仕事が僕の人生を一変させました。

子どもの「生きる」という圧倒的なパワーと、活動で得られた貢献心が、気づかないうちに心のエネルギーを満たす。

しかし自分が元気になると、かつての僕と同じように環境の影響を受けて心が荒んでいる人たちが多いと気づきます。

「いつも誰か・なにかのせいにしないとやっていけない」そんな人たちに心が痛みました。

それから僕の心は前へ向く。社会を変える一つの力になりたいと野望を覚えます。

そんな貢献心の芽生えもあり、アルコールを絶ち、コンプレックスを解消し、健全な交友関係を復活させ、さらに運良く最高のパートナーと結婚できたのです。

健康を手に入れてからはとにかく勉強をしました。自分の心に向き合い、さらに身近な人の悩みに向き合い続けました。

自分は心について強い関心がある。

中庸な考えを持とうとする態度は、僕の個性です。

心理学などの科学的な見地と、どん底からはい上がった経験から得た学びを生かし、オリジナルの「幸福をつかむ人生観」を磨いています。

このブログで言いたい僕の根源的な考えは主に3つ

  • 誰もあなたをシンデレラにする魔法は使えない。人は自力で前を向いて成長する
  • すぐに大きな変化は訪れない。自分のペースで努力する覚悟を持つ。
  • 快感の選び方が人生を変える。科学的手法を用い自分をコントロールする。

将来の夢は「子どもたちが主体的に社会へと関われる態度を育む教育の仕組み」を支えることです。

欲望ビジネスに踊らされない。

幸せは自力でつかめる。

僕はあなたの力になりたいと願っています。

主な資格

  • 心理学検定特一級
  • 上級心理カウンセラー

根本的な信念の方向性

  • 上質で永続的な幸せの希求

自分勝手が貢献心を身につけるまでの半生

努力しなくてもできるという信念を持った学生時代

アトピー性皮膚炎に悩まされていましたが、それ以外は健康な少年時代を過ごしました。

なぜかスネちゃまなやくしじ(多分5歳)

なぜかスネちゃまなやくしじ(多分5歳)

現在まで大病になったことがなく、骨の一本すら折った経験がありません。

小学校時代は明るく元気がよい少年だったのですが、とにかく勉強をしませんでしたね。

確か小学校5年生の夏休み以降、中・高も含め長期休暇中の宿題を一度も提出したことがない。

しかし小学校時代は真面目に授業を受けたのでテストの点は良かった。それが自分の中で悪い信念になる。

優れているやつは努力なんてしない、と。

中学生時代はその信念を自己正当化するばかりでひどい素行になってしまいました。

勉強は全くせず非行少年になり(バイオレンスとは無縁でしたが)学校では問題児です。

しかし無根拠な自信があり、高校受験には取り組んだんですね。高校には入るのが当然だと思いこんでいましたから。

それがまた自分の「俺はできるやつだ」という信念を正当化させる。受験前に集中して勉強したら学年で上位の成績になってしまったんです。

(周りに真剣に勉強をする人が少なかったのかもしれないが)首の皮一枚で空っぽのプライドを維持できていました。

高校に進学してからギターをはじめます。それがきっかけでバンド活動にのめり込むようになる。

途中でボーカル(歌の担当)に興味を持ちジョブチェンジしました。その後はボーカルで音楽活動をつづけることになります。

勉強もせずにバンドばかりしているので、将来の夢はもちろんミュージシャンです。しかし両親は反対を示していました。

しかし地元大分県の「高校生ロック選手権」でグランプリを取ったことがきっかけで、母は「やるだけやってみなさい」と背中を押してくれました。

10代の頃の演奏

正直なところ僕の実力というよりはメンバーの演奏センスが良かったのだと思います。

それでも「俺はできる」という無根拠な自信が強固される結果になりました。

(無根拠な自信も努力するという態度さえあれば自分の強力なパワーになるんですがね……)

音楽と会社員の挫折

18歳で東京に上京し音楽学校に入学しました。

しばらくは仕送りで生活をしていました。かなり貧乏でしたが健全でミニマムな生活を送れる。

夜間の高円寺駅前の路上弾き語り(当時はあまり注意されずにできました)で小遣い稼ぎをしていました。

これが一日一万円を超える収入になる事が多く、自信と生活の助けになります。一人で稼ぐ楽しみはここで芽生えたのかもしれません。

1年で学校を卒業しバイトを本格的に始めました。学生時代にまともな部活の経験がなかったので、体系的に人に技術を教える初めての経験になる。

ノウハウづくりや後輩への勇気づけが面白く、いつもトレーニングとリーダーシップに向き合っていました。大したことはできませんがそれなりに楽しい。

バイトと並行して一緒に上京した地元のメンバーとバンド活動をしていましたが、解散し再結成し……と安定しませんでした。

それでも21歳位までは個人で音楽関係者にアプローチしたり、自主制作ですがCDを作ったり、精力的な活動をしていました。

しかし自分をおとしめる負の転機が起こります。

晩酌の習慣です。これから10年以上ほぼ毎日お酒を飲む日が続く。収入の大部分を酒に費やすようになります。

収入が増えるごとに酒への依存も高まっていきます。正社員になってからは酒代や交際費の合計が月間10万円を下回ることはまずありません。

酒に飲まれている間はすべてのことが中途半端でした。

まず自分への興味が薄れていきます。身なりは乱れ、虫歯を直さず、部屋は汚れ、印象は悪くなっていきました。セルフネグレクトです。

音楽活動は一人になったり、辞めたり、新しいバンドを組んだりと安定しない。

年齢が高くなり経験は増えるので一見は上手になっていくのですが、個人練習をしないため根本的な技術は向上していません。

ここで悪い信念「努力しなくてもできる」という考えが障壁となったのです。

いくら望んでも努力ができないのです。すごく悩みました。しかし悩む自分の右手には缶ビールが握られている。

自分への興味が絶望と虚無を肯定する方向へむかいます。科学的な考察をせず、愚かさを認めて今の状況を正当化していく。

結局30歳を過ぎたあたりで音楽活動をする余力は消えていました。

音楽活動を諦める直前の姿

仕事は8年に渡り携帯販売代理店で働いていました。

もともと行動にやりがいを見つけられる方でしたので、主体性を気に入ってもらい店長に抜擢されます。

仕事の成果は良い方だったと思います。クレームをチャンスに変えるテクニックが自慢でした。

万年赤字の店舗を目標に向かって走れる組織へ変革し、業績をV字回復させて表彰されたこともありました。

しかしアルコール依存が深刻化して心ここにあらずの状態が続く。つまらないミスや信頼を失う報告漏れを起こし評価を落としてしまいます。

バンドを辞めて自分の生きがいを見失い、仕事の評価も落ちたことでプツンと自分をつなぎとめていたものが切れて、地元に帰ることにしました。

ひきこもり時代

東日本大震災の直前に地元に帰りました。バンド時代に培ったウェブデザインでフリーランスになろうと試みます。

ちょうど職業訓練校でウェブデザイン学科があったので入学しHTMLとCSSの理解を深めました。

地元で旧友や新しくできた友達と親交を深めようとしましたが、なかなかうまく行きません。

東京時代は語り合うのが好きだったのですが、そのようなコミュニケーションは持てずつまらないと思ってしまう。

自分を受け入れてもらいたい気持ちが大きかった。しかし人を受け入れる余力はない。そして虚無が染み付いていた自分は孤独の世界に沈み込みます。

始めた仕事も親戚・友達以外の販路を広げる努力ができずに頓挫する。そこから引きこもりに突入します。

引きこもり時代は何を考えていたのかよく覚えていません。

とにかく幸せを失っていました。ゲームをし、酒を飲み、即物的な快楽に溺れていく。酒が進むと死と過去の妄想に明け暮れます。

音楽を爆音で聞いて泣きました。弾き語りをして泣きました。泣くことで自律を保っていたかもしれません。

引きこもり時代に作った唯一の歌

しかし引きこもりはいつまでも続けられない。なんとかしなければいけないという焦りが徐々に強くなる。

何より貯金が全くなくなりました。東京時代の浪費がたたり少ない蓄えしかありませんでしたから。1年そこらで引きこもりをやめます。

小学校教育とのふれあい、転機

まずは派遣会社に登録しパソコンメーカーの営業職に付きました。

しかしできれば営業職以外の仕事を経験したいと思っていたのでチャンスを狙う。

しばらく後にハローワークの求人でやってみたい仕事があったので応募します。この転職が大正解でした。

小中学校に訪問してパソコンなどのICT機器を使い授業を支援する「ICT支援員」です。

技術的な仕事かと思っていましたが、実際はより良い学びにつながる授業のプランを提案する仕事で、企画力とコミュニケーション能力が重要視されます。

子どもとふれあい、先生と協働して授業を作り上げる一連のプロセスが、僕に欠落していた”ある感情”を満たしていきました。

貢献感です。

ICT支援員はものすごく多くの「ありがとう」に触れ合える仕事です。承認欲求は満たされ、心の健康を取り戻す自然な流れに乗れる。

そして子どもたちの生きるエネルギーは僕に意欲を思い出させてくれました。

ICTサポーター時代のテキストなど(本は2度めに勤務したときのものなので新し目です)

ICTサポーター時代のテキストなど(2度めに勤務したときに購入した本が多いですが)

自分が前に向くと、やはり僕は事業を起こしたいという願いを取り戻します。

そしてこれまでとは違う「貢献したい」という気持ちが動機になる。

学生時代に目をそらしてきた教育に触れることで、欠落していた感性を得たのかもしれません。

気づかないうちに「努力しなくてもできる」という信念はなくなっていました

結婚、転職、独立への道

ICT支援員の仕事で活力を取り戻した僕は再度転職を決意します。鉱石業を営む会社の下請け企業です。

10代以来の現場作業系で、今までの経験が生かしにくい産業でしたが収入は安定しました。

就職をしてまだ1カ月に満たない頃、急性腸炎にかかり高熱が2日間続く

その間はさすがに酒を飲めません。ただしこの経験が最高に良かった。

僕は既に酒を止めたい気持ちになっていましたが、昔から少し寝付きが悪くて酒を飲んだら眠れると盲信している。

しかし高熱を出した2日間はぐっすりと眠れる。熱が引いた後に酒をのまず睡眠を試みたら……余裕で眠れました。

不眠の心配は杞憂(きゆう)だったのです。この日から仕事の前日は飲まないでいられるようになりました。

健康的な食生活に目覚め、自炊し玄米食にこだわり、砂糖と生成された食品は基本的に口にしない生活を送ります。

毎日基礎トレーニングをつみ体脂肪率が減っていく。体重が半年で12キロ減ります

もともと痩せ型だったので、少々減らしすぎて健康診断で怒られましたが、全くの健康で元気いっぱいです。

心の余裕が出てたので、自分の成長に結びつく活動を始めます。

初めは超コンプレックスだった英語の勉強をはじめました。中・高と全く勉強をしてこなかった私はDoとCanの違いを25歳位まで知らなかった。

一日1時間の勉強が徐々に増えていき、仕事が早く終わった日は勉強したくて嬉しくなる。(今もまだ実践的な英語力はありませんが)勉強を続ける自身が付く。

節制でお金がどんどん溜まっていき、独立起業への下準備が整っていく。それと並行して自分が貢献できる仕事を模索し始める。

勉強を続けた結果、たどり着いたのが心を知ることです。

これからどんな事業を起こしても求められるスキルだと確信しています。カウンセリング理論を中心に心理学の知識を蓄え研鑽(けんさん)していく。

同時に気づいたのは「行動を変えれば良質な幸福が得られる」ということです。

実のところ僕は10代の頃から人間の真理探求に1つ仮説がありました。よく友人に主張して煙たがられる理論でもあります。

  • 人は自分に利益があるから行動を起こしている

たとえばなぜあいさつをするのか?気持ちが良いからしている。対人関係を改善しようとしている。不安を防ぎたいからしている。

それは論理的利己主義のような考え方でしたが、今でもある意味は正しいと思っています。

新たな知識が増えた後、この考えは重要な示唆があることに気づく。

  • 快感をコントロールすれば、社会的に成功できる
  • リスクのない安定した幸せは、目先の欲求に惑わされない自制心によりもたらされる
  • 欲求は自分の進むべき方向を示唆している

それに気づいてから心理学にこだわらず幅広い学問から知見を得ています。

学びは習慣になりました。現在進行系で成長を続けられています。

また健康や意識の変化が恋愛をしようという意欲につながりました。

ICT支援員時代に知り合った小学校教諭の友人と親交を深めるようになり恋愛関係に発展します。

お互い三十半ばという年齢もあり、ハイスピードで話が進み結婚に踏み切りました。

妻は常に私の支えになり最高の友人でもあります。僕も妻を支えたいと思うことがライフワークとなり、良い関係が日々の活力を与えてくれます。

妻とやくしじの結婚式

現在

ある程度の貯蓄がたまり、思い切って仕事を退職しました。

その後はICT支援員のアルバイトをしながら新サービスの構築と実験を繰り返す。

現在はICT支援員のアルバイトがお役御免になったので、本格的にサービスを稼働しようと研鑽と試行錯誤をしています。

ブログの運営のほかに、人生相談サービスを行なっているのでお気兼ねなくお問い合わせください。

僕の理念は普遍的なことです。

オリジナルの解釈とハウツーはありますが、教育の場で目指している主体的で協働できる人物像を基本としています。

これは過去〜現状の教育の枠組みではまったく教え足りないことです。

保護下にない大人こそ主体的で協働できる姿へと研鑽しなければなりません。

共感できる・教訓を得ている理論としては

  • コーヴィー博士の7つの習慣
  • 人間性心理学
  • 認知行動療法理論
  • リーンスタートナップ
  • リンデン博士の脳科学
  • ポジティブ心理学
  • バウマイスター博士の意志力の研究……ほか

将来的には誰もが容易に取り組める、子どもの主体性・信念に基づいた独立した正義感・社会貢献の精神を育む教育プログラムを作りたいと考えています。

なにかに依存することをやめ、自己成長を喜べる姿が、人類の次の進化だと思っている。

物質だけではなく、周りの人にも、地域にも、国家にも……依存を止めることは健全な自由を手にする条件です。

幸せは周りに与えられるものではありません。

幸せを自分で手にできるすべを知れば快適な人生を送れます。

そしてそんな人達が増えれば社会は良い方向へ進む

その一助になるために僕も努力を続けると約束します

パーソナルなやくしじ像

余暇の過ごし方

とにかく休日は外食が多い

とにかく休日は外食が多い

基本的には食べてばかりいます。

妻とデートしても遠出はせず、書店に行ってそのままランチとかそんな感じです。

むしろ妻も休日に仕事をしているので、二人ともガッツリと休むことはあまりありません。

ただし年に1回は海外旅行に行くと決めています。

友人と遊ぶのもほぼ食ですね。食べながら話すことがほとんどです。たまに飲みに行きます。

カエルの飼育

ICT支援をしていた学校からお別れの花の鉢をもらったのですが、その中にアマガエルが一匹潜んでいました。

しばらくはベランダに放置して「どこかに行くかな」と様子を見ていたのですが、一向に動く様子がありません。

夏の日差しにやられてカラカラになるのもかわいそうに思い、田んぼにでも逃がそうと考えましたが……可愛さに負けて拉致してしまいました。

「ぴょんきち」と名前をつけて溺愛しています。

なんと愛らしいのだろうか……ぴょんきちよ

なんと愛らしいのだろうか……ぴょんきちよ

その2カ月後に妻が学校で子どもたちが捕まえたカエルを連れて帰ってくる。「こりきち」と名付けました。(顔がゴリラのようにごついので)

ピンセットからごはんをたべてくれるまで長かったこりきち

ピンセットからごはんを食べてくれるまで長かったこりきち

両方ともメスです。鳴くことはありません。世話がとても楽しいぴょ〜ん。

ペットを見ると快感物質「オキシトシン」がでますので、疲れて幸せ感を失ってしまったらいい補充源になるんですよね。

生き物を飼うというのは、人生哲学的に重要な命題だと思っています。エゴに向き合ういいきっかけにもなります。

ついでに餌の虫「ミルワーム」の繁殖も楽しすぎますよ。みるちゃんの世話も楽しんでいます。集合でも一つの概念になる良い見本です。

音楽との関わり

最近ギターを弾いたり歌うことがほとんどなくなりました(と書いている途中で押し入れからギターを引っ張り出そうと思った)。

音楽鑑賞も能動的にすることは少なくなりました。最近は仕事中のBGMでクラシックを聞いています。

好きなアーティストはたくさんいるので、たまに思い出して聴きます。熱いものがよみがえってきますね。

引きこもり時代は音楽を聞きまくっていました。その時の経験は今でも大切なものになっています。

熱い気持ちを思い出したいときはお気に入りのバラードを聴いています。

Belle and Sebastian - Little Lou, Ugly Jack, Prophet John
Silje Nergaard - Dance Me Love
Red Hot Chili Peppers - Wet Sand

サビでのカタルシスがすごい……すぐに泣けます。僕は。

読書

学びはこの先も永遠に続く習慣になると思います。今は読書に熱が入っている。

実は若いときは全くと行っていいほど読書をしていませんでした。天の邪鬼なので母と兄が読書家だった影響に反発していたのかも(言い訳です)。

20代後半で一度小説のマイブームが起きました。古書店で嫌われ松子の一生が100円で売られていたので好奇心で購入し読んでみたらハマった。

それから村上春樹を中心に村上龍、よしもとばなな、太宰治、安部公房、東野圭吾、フランツ・カフカ……雑食でしたが良い経験でした。

最近はめっきり教養書のほうが多くなっています。しかし小説は僕の心を育ててくれたとは思っています。これからも大切に読んでいきたい。

繰り返し読む作品は

など。またしばらくしたらお世話になります。

健康生活

週末に何も気にせず好きなものを食べるために、平日は健康生活を続けています。

運動は簡単な筋肉トレーニングです。今はプランク(体感を鍛えるヨガのポーズ)を週5日実施しています。

健康食のルールは

  • 精白された食品を食べない(主に玄米や全粒粉のみで作った主食を食べる)
  • 砂糖を取らない
  • 飽和脂肪酸を取らない

という感じです。そのかわりに週末は好きなものを好きなだけ食べています。

この習慣は何年も続いているので、実は結構語れます。

いつかそんな記事も書くと思います。

主義

基本的には無主義ですが、扇動され流されることのないように注意はしています。

強いて言えば

  • 別姓主義
  • 平等主義

の2つがあります。

別姓主義

夫婦別姓に対して強い主張はないのですが、結婚する人が社会に流されて夫の姓を名乗ることのないように、自分なりの考えを持ってほしいとは思っています。

そもそも主体的な大人同士がともに人生を歩むのなら、名前がどうなろうが、結婚しようがしまいがどちらでも重大な違いはありません。

僕の戸籍は妻の姓ですが、実生活では別姓を貫くつもりです。

「やくしじ」という名前の響きが好きだということもあります。

平等主義

僕は不平等こそ、不合理で不適応な考え方の温床になっていると思っています。

年齢・立場・性別・出生……数を上げればキリがありませんが、不平等はだれも得をしないのです。

優位に立っている側も立場が偉いという信念を持たなくてはならない。その心は妬みや傲慢(ごうまん)となり自らを傷つけます

虐げられている人も、強いものに依存する心や劣等感に苦しむ。

平等は相手に対する丁寧さと好奇心に支えられると思っています。人を正すことは難しいですが、自分はそうあろうとしています。

※特定のイデオロギーを支持しているわけではありませんのでご理解ください。例)「ベーシックインカム賛成!」みたいなわけではない。

おわりに

長文に渡り読んでいただきありがとうございます。

今後ともブログを楽しんでいただけたらと心から思っています。

ご相談はお気軽にどうぞ。

 

  • この記事を書いた人

やくしじ

産業カウンセラー。個人向けの心理カウンセリングと、少年院のキャリアカウンセリングをしています。すべての行動には目的がある。熱意・不安・焦り・イライラなどの制御できない溢れ出す思いを全人的に受容し、自己理解を支援する。単発的な傾聴のニーズや、継続カウンセリングを通しての自己変容や目標達成を支援します。ご依頼はお問い合わせへご連絡ください。詳しいプロフィールはこちら

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