「子どもは褒めて育てればいいんだ」
「いや、子どもは対等だから褒めずに感謝するべきだ」
子どもの教育は親の最大の悩みだろう。良い子が育つわかりやすい方法があれば教えてほしいものだ。世の中にはそんな情報が氾濫している。
しかし子育てに明確な攻略法があるはずない。そんな手段がないから人は多様で面白いのだ。
心を交わし理解しあえる親子は健全と言える。
それをかなえるにはシンプルな方法が一番だ。
あなたは「うれしい」と子どもに伝えているか?
目次
肯定的な言葉かけが子供の成長を育む
叱るのが悪いわけではない
「子どもは褒めて伸ばそう」という理論がある。前向きな感情を持つと意欲が持てるので、困難なことにも取り組めるのだ。
褒めるだけでは教育にならない。
そもそも子どもは社会的な善悪の判断を持っていない。してはいけないことを必ずしてしまう。
効果的に叱ると「してはいけないこと」の判断ができる。
「してはいけないこと」とは肉体的にも社会的にも危険なことだ。それらは学習において学ぶ必要がある。
悪い例だが、ペットの動物のしっぽをハサミで切った子どもに
「面白いね、えらいね!だけれどワンちゃんがいたがるからやめようね」
とは絶対に言ってはいけない。
危険なことははっきりと伝える。
良いのか悪いのかわからない言い方では子どもは混乱するだろう。子どもの察する力に頼るのは保護責任の放棄だ。
一方で根拠を持たずに叱りつけてはダメだ。
親の気分で良し悪しの判断がブレてしまう。子どもは理不尽さを感じ何が正解か信じられない。
褒める・叱るというのは単なる行動である。
褒めればいい、叱ればいいというのは安直な方法論であり、方法論に依存するといつか破綻が訪れてしまう。
親の不安を消すために賞罰を与えない
将来のことは現時点で予測がつかない。子育てには不安がつきまとう。
不安を埋めるために何かしらの反応を求めてしまう。子どもの行動に明確な変化を引き起こすために褒めたり叱ったりしているのだ。
親は子どものために褒めたり叱ったりしているつもりだろうが、潜在意識では自分の不安を消したいだけかもしれない。
子どもの資質を育成するのが教育の目的といえる。自分に向き合い、人に向き合い、社会に向き合い、より大きなものに向き合う資質だ。
道徳的な価値観が育てば考える習慣がつく。
しても良い・悪いの違いは教育によって学ぶが、将来的には自分自身で「なぜ良いのか悪いのか」を考えられないと自立した行動は取れない。
主体的に考えられる資質を育成するために、褒めると叱るを有効的に使うのだ。
道徳性が主体的な人を育む
不適切な褒めが子供に与える影響
上下関係が依存を生む
著者の話だが妻から「褒められるのは気に食わない」と言われたことがある。
確かに自分でも褒めているときに違和感があった。権威があるわけでもないのに褒めるのは軽薄かもしれない。
「褒め」は相手を肯定している行為だが、その背後には上下関係が生まれている。良いことを承認して正しい行動を促しているのだ。
上下がない関係では安易に褒めると相手を傷つける。
親子のような関係では褒めていいのか?
子どもは親に褒められることで自分は認められていると思う。
認められると家族の中で安心して過ごせる。反対に認められなかったら自分の居場所があるのか不安になるのだ。
そもそも親の承認など必要ない。無条件で子どもは家族の一員だ。
しかし子どもは褒められることで、家族にいるには承認が必要なのかと勘違いしてしまう。
過剰な自尊心を引き起こす安易な褒め方
「テストの点が良かった」「クラスの委員長に選ばれた」
子供の行動が目立って好ましいと「すごいね」と褒めてみたくなる。もちろん好ましい結果を褒めてもいい。
しかし「すごい」「できる子だ」と褒め続けることに2つの問題が潜む。
- 比較をする
- 結果に注目させる
比較をする
誰かと比較して優秀さを認めれば、親は簡単に子どもを褒められる。
しかし子どもは人と比べて優秀であれば褒められると学習する。褒められると気持ちがいいので、子どもはもっと褒められたくなってしまう。
自分が成長しなくても人に勝てばいいのだ。不健全な動機で競争の意欲を高めるかもしれない。
人の足を引っ張っても勝てればいい。相手の実力を認めなくても勝ちを錯覚できる。負けることを恐れると言い訳グセが付くだろう。
結果に注目させる
結果こそが自分の価値を測ると考えてしまうと、勝敗に執着するようになる。
勝ち続けられれば健全な成長を遂げるだろう。
しかし競争に負けた場合に自分の価値がないと感じてしまう。劣等感へのおびえから競争を避け無気力に過ごす。
以上のように褒めるという方法論に執着すると、子どもの健全なやる気を育めない。
勝ち負けに執着すると心が狂う
感謝を言葉かけに用いるのは難しい
複雑な感情である「感謝」
褒める・叱るのを止めて感謝をすればいい。自己啓発のベストセラー「嫌われる勇気」で知名度を得た考え方だ。
たとえ親であっても子どもの問題に不要な介入をしない。お互いに個人として関わり子どもには感謝で答える。
この考えには著者も賛同しているが、感謝という概念は少し難しいところがある。
ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち。
感謝は他人が喜ばしいことをしたときに生じる気持ちだ。
しかし「申し訳ない」と感じたときにも感謝を述べるときがある。特に日本の文化ではこのニュアンスは多い。
申し訳ないという気持ちには、結果的にはありがたいが相手に迷惑をかけたという悔やむ気持ちを含む。
ありがとうといわれたら「相手を悔やませたのかな」と感じてしまうと、子どもは感謝をされても喜びを感じられない。
子どもの問題に感謝はしづらい
子どもがテストで良い点を取ったときには感謝が伝えにくい。
「100点が取れたね。ありがとう」とか「よく勉強したね。ありがとう」というのは違和感がある。
テストをがんばったのは子どもの問題であり、親の問題ではない。
子どもは「ありがとう」と言われた理由がわからないので、感謝されても納得ができないだろう。
感謝は簡単に偽れる
感謝には前向きな感情と後ろ向きの感情が同居する。複雑な感情は特定の身体表現を持たない。
感謝は笑顔で言うのが普通だ。しかししかめっ面でも、怒っていても感謝の言葉は言えるのだ。
ただ義務的にありがとうと言っても、本当の気持ちは表情に現れる。
もし喜んでいないのにありがとうといわれたら、子どもはその気持ちを敏感に察知し、感謝を疑うようになるだろう。
感謝をもっと詳しく知るにはこちら
「感謝する」というのも「褒める」同様に行動を方法論としている。
コミュニケーションで重要なのは言葉ではない。
感情が語り合うのだ。
「うれしい」で言葉かけをすれば子供と誠実な関係が築ける
うれしいは気持ちを伝える
褒めや感謝に比べて、喜びは単純だ。
テストで100点だったら親がうれしいと思う理由は十分にある。
「テストで100点を取ったって?お母さんうれしい!」
と言っても何ら不自然ではない。
子どもにとって褒め言葉や感謝では親の心はわからない。うれしいを聞ければ親が喜んでくれた「貢献感」が明確に見える。
親が率先してポジティブな感情表現ができると、子どもは感情を見せられる安心感を得られるのだ。
それが親子の心の交流が安定させる。
喜びは偽れない
鏡でしかめっ面や怒り顔で「うれしい」と言ってみよう。すると脳内でモヤっとした違和感がするはずだ。
実験をして確かめたわけではないので正確さはない事象だが、筆者は笑顔に近い顔でしかうれしい気分になれない。
喜びを偽るのは非常に大変だ。ウソをつくには感情を否定する必要がある。
ウソをつくときは表面上の言葉しか出ない。「ありがとう」はどんな表情でも違和感がなくいえる。「偉いね」も同様だ。
子どもはうれしいを聞くと安心し、自分のしていることは正しいと感じられる。
うれしいは親の心も安定させる
指導しているとつい教訓を話したくなり一方的に話してしまう。自分の意見ばかり伝え、褒めや叱りを結論にする。
一方的なコミュニケーションが続くと主従関係が明確になり子どもは怯えを抱えてしまう。
褒める・叱るの代わりに「うれしい」と言うだけでお互いに気持ちがいい。ポジティブな感情表現は快感だ。
子どもの様子をくまなく観察し、喜ばしいポイントが見えたらうれしさを伝える。気持ちのままに話せばいいので打算をする必要ない。
学校での様子など見えない活動の話を子供がしてきたら、親は自分の感情と子どもの言いたいことが理解できるまで話を聞く。
親が喜びを見せれば子どもは何をがんばれば良いのか理解できる。反対に悲しい気持ちを覚えたらそれを伝えよう。
子供の報告が具体的でなかったら質問をして引き出す。わかりにくい話はイラッとしがちだが少し我慢する。
喜びを否定せずに感じられれば、子どものがんばる姿が楽しみでいられる。
主体性を持ってがんばる子どもを育てる
うれしいと伝えれば論理的な会話を構成できる。
- 気持ちの表現
- 気持ちの理由
- 相手への態度
この順番で話すことで、気持ちを正確に表せる。そうすれば親としての態度を表しやすい。
「100点とれたの?おかあさんはうれしいよ!君はテストのために授業をしっかり聞いて宿題もした。がんばった結果なんだね。ありがとう!」
という具合だ。ありがとうは「偉いね!」にしても違和感はない。
- おかあさんにうれしいといわれて私(子ども)もうれしい
- おかあさんは私ががんばったのがうれしかったんだ
- 私はありがとうと言ってもらえることをしたんだ
- おかあさんに喜んでもらえて私もうれしい
詳しい感情の動きは以上のようになる。子どもは自分が親に貢献したと感じられるだろう。
この一連の流れから感情を取り去ってみたい。
「100点とれたの?ありがとう!君はテストのために授業をしっかり聞いて宿題もした。がんばった結果なんだね。」
と上から目線の発言になる。
それを受けて「お母さんが認めてくださった、これからも私は頑張らなければならない」と感じるといつか息切れしそうではなかろうか。
子どもが行いをかえりみて「自分はしっかりやれている」と感じられると主体性を持てる。
親の賞罰やテストなどの結果だけはなく、がんばりを自ら褒めてやりがいを感じる。その方針が自制心と自尊心を同時に育める。
うれしいを伝える習慣が、子どもの健全な発達を促すのだ。
主体性が自立心の基礎となる
おさらい
「褒めればいいんだ」
「感謝すればいいんだ」
と手段に固執した教育方法では大事なことを忘れてしまう。
- 親子の感情的な結びつき
- いずれ自立する子どもの幸せ
親も子どもの一人の人間である。親の感情が見えなかったら子どもは人の顔色を気にする性格になりがちだ。
親が喜ぶ姿を見せられれば、子どもは確かな快感を感じるだろう。誰かに依存せず自立した快感を得られれば、ずっと幸せでいられる。
- 喜びを表現して、安心して感情を交わせる関係を保つ
- 親のサポートを得ながら子どもは健全な道徳心を自分自身で育てる