あなたは「自制心」がありますか?
……いいえ、ありません!と言ってしまう人が大多数だ。
誘惑に負けてばかりだと、気持ちが焦る。
「次は絶対」が口癖になるが、”絶対”を守れない自分が憎い。
自制心を持てば、
理想は現実に近づく。
幸せになる鍵「自制心」を得るための戦略を考察する。
目次
マシュマロテストは自制心を見抜く
マシュマロテストとは
選択によって人生は様変わりする。努力した人・怠惰に生きた人、どちらもそれなりの人生を送っているはず。
ウォルター・ミシェルという心理学者が、ある実験をした。その実験は子どもの発達を測る検査だったようだが、結果として「自制心」の重要性を指し示すことになった。
その実験は「マシュマロ・テスト」と名付けられる。子どもが目の前のマシュマロ(欲求)を我慢できるか検定するテストだ。
被験者である子どもは、気が散るようなものが何もない机と椅子だけの部屋に通され、椅子に座るよう言われる。机の上には皿があり、マシュマロが一個載っている。
実験者は「(中略)。それはキミにあげるけど、(中略)15分の間食べるのを我慢してたら、マシュマロをもうひとつあげる。私がいない間にそれを食べたら、ふたつ目はなしだよ」と言って部屋を出ていく
欲求を我慢できずにマシュマロを食べた子どもは、自制心が弱いと考えられる。自分なりに工夫して我慢をし、2つ目のマシュマロを手に入れられた子どもは、自制心が強いと考えられる。
この実験は長年に渡って追跡調査された。その結果「マシュマロテストの結果」と「人生の成功」との間に相関があることがわかった。
つまり我慢できた子どもは、大人になった後の社会的地位が高いということだ。
マシュマロテストは”自制心”以外の要因が結果に影響したと考える説もあります。
正しい選択は、多様な方向性を生む
マシュマロテストでは15分間我慢をし2つ目のマシュマロを手に入れた子どもが、正解だったと考えられる。
我慢ができなかった子どもは、1つのマシュマロしか得られなかった。欲望に負けたから食べてしまったかもしれないし、1つでいいと考えたかもしれない。
「1つでいい」「与えられたものでいい」「その場にあるものでいい」という考えは、現状を受け入れたということである。
現状を受け入れるだけだと、人から与えられるものしか得られない。与えられるものがまったく変わらなければ、選択肢は1つしかないということだ。
一方で2つ目のマシュマロを手にした子どもは、待たなかったら1つ、待ったら2つと2通りの結果を知っている。子供の気持ち次第でどちらの結果が良いか選べる。つまり2通りの戦略を持てる。
結果に満足しなかったら、さらに高い欲求をする。
我慢できない人は「1つしかくれない」と誰かを責めることになる。
我慢できる人は「もっと我慢をするから違うものをちょうだい」と提案できるかもしれない。
大昔はどんな大人になるのか子どものときに決まっていた。現代の子どもは自分で人生を決められる。選択肢の数が多いほど、したいことをして暮らせる確率は高まる。
自制心を鍛えて正しい選択をつかむ基本戦術
主体性が正解を呼び込む
マシュマロを食べたいと思っていたのに我慢できた子ども。欲求を自制しマシュマロの数を2倍にした。
自制とは「自分の欲求に流されず制御すること」。つまり自分の意志で自分の行動を変えた。
私たちには毎日イベントが起きる。すぐ起きる?二度寝する?余裕を持つ?走って駅まで行く?野菜をたくさん食べる?ラーメンで済ませる?ジョギングをする?飲みに行く?……
早起き・余裕・栄養・運動など自制がもたらす行動は、一般的には正しいと思われている。多くの人は自制をして健康的な生活を得たい、前向きに仕事をしたいと思う。
自制をした選択は、自分を理想へ近づける。無論ときどき羽目を外して活力を得てもいいのだ。
一方で欲求に流されると自分の理想から遠のいていく。不健康になり仕事のミスも多くなる。マイナスをプラスにしたいから「自制をしなければ」と思い、欲望を悪と考えがちだ。
自制心がない人は「流される・流されたくない」と葛藤をし、自分の成長を妨げる。そんな自分を嫌いになり、自分自身の限界を勝手に決めつける。
自制心を持って取り組むことは、自分の理想のためにやり抜く力「主体性」を生む。
主体性を持って行動するのが正しい選択肢を選ぶ基本戦術だ。
主体性を持つ方法
つらいと思っているから自制できない
子どもにとってマシュマロは抗えない欲望かもしれないが、15分間マシュマロを我慢するのは大人にとって簡単なことだ。
それではなぜ大人も欲求を我慢できないのか?二度寝で例えてみる。
起きてしまえば体は動くのに、なぜかいつも二度寝をしてしまう。何か楽しみな予定でもあれば、待ちきれずに起きてしまうのに。
楽しみな予定があるなどの条件下では簡単に自制できる欲求も、毎日だとなぜか自制できない。それは2つの原因が考えられる。
- 自制がつらいと思いこんでいる
- 流されやすい環境で生活している
自制がつらいと思いこんでいる
欲求に流されるのは非常に楽だ。しかし抗えるはずの欲求に負けてしまうのは、自制をすることが「つらい」と思い込んでいるから。
日本人は「苦しんで手に入れた成功ほど価値がある」と思う人が多い。挑戦が難しくなればなるほど、成功する人は少なくなる。人並み以上に苦労したと思えば納得できる気がする。
嫌なことに立ち向かうには勇気が必要だ。嫌なことは自分を苦しめる。苦しむことは恐怖を生む。人は恐怖から逃げ出したくなる。
しかし早起きは嫌なことのはずなのに、なぜ楽しみな予定があれば二度寝をしないのだろうか?
それは二度寝の快感よりも、起きたあとの出来事に快感を求めているから。つまり、目の前の欲求よりも楽しいことがあれば、苦労は苦労じゃなくなる。
自分の考え方一つで、わざわざ苦労をしなくても成功に向かっていけるのだ。
流されやすい環境で暮らしている
欲求は自分を怠惰にする。自分が怠惰になると環境も怠惰になる。
「散らかった部屋、いつでもだらけられるベッドルーム、帰り道に寄れるコンビニ……」そんな環境では、怠惰は止められない。
「汚したくないきれいな部屋、朝日が差し込むまぶしいベッドルーム、コンビニのない通勤路」環境を整えるだけで、欲求に抗う力が出る。
怠惰な人は自分の内面を直視できない。怠惰であることを忘れようと必死なのだ。ただし身の回りの環境は自分自身を表す。無意識に環境に合わせた行動を取りたがる。
部屋を片付けるだけで、自分自身の理想の生活に近付こうとする。自制心がなくなっている人は、環境を整えることからはじめたい。
自制が簡単にできる環境づくり
試行錯誤が報酬をグレードアップする
すぐに1つ食べようが、我慢して2つ得ようが、子どもにはマシュマロという報酬が与えられた。
報酬は快楽を生む。マシュマロ、お金、地位、名誉……。それらを消費すると快感を得られる。
快感を得るには刺激が必要だ。マシュマロの甘みは刺激になる。しかし単調な刺激ばかりでは慣れてしまい快感が薄れていく。
快感が薄れても欲求はなくならない。「2つちょうだい。チョコをつけて。クッキーにして。やっぱりマシュマロに戻して……」その刺激は何度も繰り返される。
自制をせずに目の前の快楽ばかり選ぶと、新しい経験は得られない。同じことを繰り返し刺激の単調さに不満を覚える。
一方で自制をして自分で選択肢を増やしていくと、新しい経験ができる。刺激のバリエーションはどんどん増えていき、多彩な方法で快感を得られる。
自制そのものを楽しめたら、快感の自給自足ができる。我慢することに喜びを感じられたら、物質的な報酬が得られる前に気持ちよくなれる。
プチ報酬が自制心を保つ
自制そのものを楽しむためには、自分はできているという気持ち「自己効力感」がポイントになる。
自分の目指す姿を思い描き、自制をする意味を見いだす。その姿に進んでいる感覚が自己効力感になる。
自分の目指す姿は、長期的な目標だ。一番大きいものは将来の夢と言って差し支えない。
長期目標を設定する方法
長期的な目標をむやみに追いかけていても、たどり着ける実感がなく途中で心がくじけるだろう。それを防ぐためには「プチ報酬」を活用することだ。
プチ報酬とは、大きな報酬とは別に小さな報酬を得る手段。自制をする喜びを感じられれば、健全なプチ報酬として機能する。
プチ報酬を設置するには、長期的な目標を刻む「短期目標」を設置すると良い。
短期目標は、得たい「成果」のために、どうしたら達成できるか「仮説」を立て計画を実行すること。
仮説が正しければ、計画を実行するだけで成果が得られる。あきらめずにやり抜く「自制心」が働けば、短期目標が達成される。そのため、自制できれば「自己効力感」につながる。
自己効力感は喜びを生む。それが「プチ報酬」として機能し、自制心が保つ体力になる。
マシュマロは複利で大きくなる
複利とは以下の意味がある。
複利法とは、元金(がんきん)によって生じた利子を次期の元金に組み入れる方式(中略)雪だるま式に利子が増えていくことになる。
マシュマロも複利で大きくなる?ようするに、長く我慢すれば最高の報酬が手に入るということだ。
日々のイベントでは、ほとんどの選択肢は2択だ。起きる・起きない?、食べる・食べない?怒る・怒らない?諦める・諦めない?のように。
長期的な目標を基準にして、選択肢を決める。そうすれば長期目標を達成する確率が高くなる。途中で諦めたり、妥協案で我慢したりしない。
もちろん無理な目標を立ててしまうと、最終的に達成できないかもしれない。しかし諦めたとしても日々成長を続けていたはず。自分のできることは最大限に多くなっている。
以上の理由から基本的には常に自制を選ぶ。その根気を支えるのが「自己効力感」だ。自制をしながら自分を励ます仕組みを作ればいい。
長期目標を設定する一番の理由は、達成した時は何よりも気持ちが良いから。揺るぎない自信、心の豊かさ、多くの信頼、すべて自分を肯定する素晴らしい快感だ。
しかし遊びのない人生は楽しいのか?
遊ぶことも人生を豊かにする材料だとは思う。しかし欲望に流される必要はない。遊びも「遊びたい」と主体的に思えば、罪悪感を感じず、楽しさを最大限に味わえる。
自制心を活用すれば、仕事も遊びも日常生活も適切な選択ができる。
ゆとりも計画をする
複利と言えば金融の言葉だが、金融商品には売り頃がある(詳しくは知らないが……)。売り時を間違えて価格が暴落したら大損をしてしまう。
それと同じように、日常のイベントでも自制することで損をすると疑ってしまう。
例えば「飲み会に誘われたけど、行かなかったら嫌われるかも……」「新商品のお菓子が出た。今食べないとなくなるかも……」など、断ることに恐怖を感じてしまう。
その場合も「長期的な目標」を目指して選択したほうがいいのか?行かないと決めたら行かない。お菓子も諦める。
それだと断ることで恐怖を感じつづけ、心の健康は保てない。なのでガチガチの決まりは止めて、ある程度ゆとりをもたせる。
- イベント:飲み会に誘われた
- 考え:ときどき参加したほうが良さそうだ
- ゆとり:1カ月に1回は参加しよう・部署の飲みは参加しよう
- イベント:新商品が出た
- 考え:二度と食べられない可能性がある
- ゆとり:週に1つなら買って良い・買ったお菓子は会社で分けよう
ゆとりを設けておけば、突然の選択に心は惑わされない。他にも困難な選択があった場合、ゆとり案を追加していく。
一度や二度の損くらいじゃ、長い人生にさほど影響は出ない。しなきゃ・やめなきゃにこだわらず、長期的な目標を達成するための戦略を考えよう。
「いーや、私は妥協しない!自分に厳しく生きる!人の目なんて気にしない!」と思えるなら、それはそれでかまわない。
おさらい
自制心がないと誘惑に心が揺れ動き、自分を責める気持ちが働く。
人にバカにされたくないから性格を悪くして対処する。自制ができないと、どんどん自分を嫌いになってしまう。
一方で自制心を持つと、自分で問題を解決していける実感が湧く。
それは自己効力感につながり、自分に価値があると感じられ、難しい問題にも粘り強く立ち向かえる自信になる。自信は心地よい感情だ。
自制はつらいことではない。むしろ自制できる方が人生は楽しい。
自制心を持てば、物質の快楽に頼らずとも健全な気持ちよさを味わえる。
毎日はマシュマロテストのようだ。
快感は自制心を持って増やせる。