私は恵まれているかもしれない。仕事も夫婦関係も問題ない。物欲だって解消できる。
それなのに、なんだか心が満たされない。このもやもやはどうしたら消えるのだろう。
いつまでも満たされることのない、辛い生き方を変えたいんだ……。
人生がうまく行っていると感じても、心が満たされないのはなぜでしょうか?
心が満たされている人に共通するのは、
自己実現を目指す生き方です。
自己実現を目指すために理解しておきたい2つの目的をご紹介します。
心を満たす3つのステップ
目次
1.なりたい自分を目指せば心は満たされる
まずは自分の理想を知ることから
多くの人が思い浮かべる自己実現と言えば、アブラハム・マズローの欲求階層説でピラミッドの頂点に座する概念だと思います。
マズローは自己実現の欲求について以下のように述べている。
人は、自分に適していることをしていないかぎり、すぐに(いつもではないにしても)新しい不満が生じおちつかなくなってくる
人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ | A.H. マズロー, 小口 忠彦
自分らしくないことをすると、それが自分に適しているとは思いませんよね。
つまり自己イメージに結びつかない行動を続けると不満を感じてしまうので、自己実現の欲求が高まってくるのです。
自分がなり得るものにならなければならないという欲求を,マズローは自己実現欲求(the need for self.actualization)と名付けた
(リンク先削除)マズローの欲求階層理論とマーケティング・コンセプト
さて自己実現欲求が示す「自分がなり得るもの」とは何でしょうか?
「なり得る」という言葉だけで考えると、そうなる可能性があるという意味です。
一般的な倫理観をもとに考えると、以下のような人物像は自己実現的ではありません。
- 怠惰(部屋から出ずに、だらだら過ごす)
- 反社会的(銀行強盗を成功させる)
もしこれらを成し得たとしても、社会からは嫌われて、下位の欲求が満たされないからです。
ということは「今の自分よりすばらしい存在になりたい」というのが、自己実現欲求だと考えられます。
つまり理想の自分ということです。
しかし理想の自分など人によって違いますよね。
そのため「なり得る自分」は自分自身で見つけなければならない。
実は「自己実現に達している人物像」をマズローはモデル化しています。
興味がある方は、以下の文献がわかりやすく解説しているので参考になるでしょう。
PDFファイル:マズローの理論における3つの自己実現
しかし自らに問いかけて「なり得る自分」を見つけることが先決だと僕は思います。
つまり自己実現に向かうためには、
どんな自分になりたいのか
このように自分自身に問いかけることから始めます。
自分を探求して、なりたい自分を定める
ではなりたい自分はどのように見つければよいのでしょうか?
職業像や財産量・名誉を目指すことは、自己実現的ではありません。
他者との比較の上で成り立つ目標(地位財)を見据えてしまうと、周りとの関係に左右されるので、安定した向上心は持てない。
例えばプロ野球選手になりたいと思っても、一握りの人しかなれないように、職業によって人に求められる数は増減します。望んでも成れない場合があるのです。
またその職業に成れたとしたら目標はそこで止まりですよね。そのため地位や名誉をさらに求めてしまいます。
地位財を求めると、常に人との争いで勝ち取らなくてはなりません。勝ち続けられればよいのですが、必ず負ける日が来る。
負けた悔しさをバネにして成長できればよいのですが、嫉妬心や劣等感に苦しむ人が大多数でしょう。
つまり地位財を目指しても、心が満たされないのです。
だとしたら何を目指せば良いのでしょうか?
社会の大きな問題を解決すること
つまりパイロットになりたい人なら、
- 人々が移動を安全かつ便利・迅速に行える社会を実現する
- 空の旅を通して豊かな心を育む
などの社会の利益を目指すわけです。
パイロットは決められた飛行機を正しく動かすことが仕事ですよね。
しかし社会の利益を目指すパイロットは、
- こうすればもっと安全性が高まる
- こうすればもっと旅で満足させられる
などの問題解決を主体的に行います。科学的な視点を持って自分の行動を革新・改善していける。
これらの問題はゴールが決まっていないので、どこまでも良くできます。よって自己実現の可能性は尽きません。
いつまでも成長を目指して努力ができ、なおかつ創意工夫が小さな成功体験を生む。その繰り返しが心を幸せで満たすのです。
自己実現を目指すことは、
生きている限り成長を続け、成長の過程で得られる幸せが心を満たしていくこと
このように考えると自己実現とは、社会の価値を高められる人格を磨くことだと考えられます。
具体的な目標設定の方法は以下のページで詳しく解説しているので参考にしてください。
明確な自己成長の目標設定。人生のやりがいを999%高める理論
自己成長の目標設定と言われても、例がないとよくわからない。仕事以外に努力していることなんてないし……。 たまに自己啓発書を読んだりしているが、そんなことじゃない気がする。 個人目標のこと?仕事以外の努 ...
2.ありのままの自分を捉えて、なんか満たされない日々を抜け出す
ありのままの自分を捉える冷静でいられる
自己実現を目指すためにもう一つ重要な要素があります。それは、
ありのままの自己像を捉えること
人は「こうありたい自分」を持っていますよね。ありたい自分は「思われたい自分」のことでもあります。
しかし他者から「思われている自分」は、他者の主観により作られます。
そのため思われたい自分と、思われている自分にズレが生じる。
自分が考える自己像を他者から否定されると、不快を感じてしまう。
不快を解消するために、相手が間違っていると決めつけるので、自分と他者が持つイメージはさらにかけ離れる。
結果として独りよがりの自己像を作り出してしまうのです。
反対に周りの人の意見に振り回されて、自分の考えを失ってしまう人もいるでしょう。
つまり「思われたい自分」を持ってしまうと、社会の中で適応できない自己像を持ってしまうのです。
一方で思われたい自分をあきらめて、ありのままの自分を捉えたら、社会適応できる自己像が持てます。
ありのままの自分像を捉えるようになれば、自己分析が正確になる。
自分の考えと周りの考えが違っても心が乱されないんですね。
主観的な自己分析は他者に左右される
ではなぜ自己分析が正確になったら、心が乱されないのでしょうか?
まずありたい自分は、記憶している主観的な自己像です。
主観的な自己像と、知覚している自己像との間に違和感がなければ、自分のことが分かった気になる。
例えば「自分は決めたことを曲げない人だ」とポジティブなイメージで自己像を記憶している人がいます。
その人は友人との話し合いで意見を変えなかったら「やっぱり私は決めたことを曲げないんだ」と肯定する。
一方で友人が「昼飯をおごるからAをBにしてよ」と提案し、その提案に乗って意見を変えた場合に「自分は決めたことを曲げるんだ」と思うのでしょうか?
多くの場合は意見を変えたことを例外として扱うでしょう。なので主張は変わりません。
なかには「友だちに決定権を譲る優しい人だ」と別の解釈をしたり、ネガティブに捉えて「いつも意見を変えるだめなヤツだ」と決めつける人もいるでしょう。
つまり解釈はあくまで主観的なのです。
また自分が決めたことを曲げない人だと思っていても、周りの人から「自己中心的でわがままな人」と捉えられるかもしれません。
わがままのようなネガティブなイメージを持たれると悲しい気持ちになるので、「自分のことを分かってくれない」と相手を否定してしまう。
しかし無視できないほど相手の言葉は心に引っかかり、自分が正しいのか分からなくなる。
つまり主観的に自分を理解しようと思っても、周りの人の行動や言動が自分(私)に影響し、自己像は安定しないのです。
そのため確立した自己像を持つためには主観性を弱め、できるだけ客観的に自分を捉える必要があります。
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自己分析では3つの客観的な視点を意識する
理想の自分を見つける過程では、なんども自己分析を繰り返すことになるでしょう。
現状を把握しなければ、なり得る自分など分かりませんから。
自分を知る一つの手段として、さまざまな心理分析ツール、例えばビックファイブやストレングス・ファインダーなども使える。
心理分析で得た情報は十分参考になるので、一度は試してもいいと思います。
しかしこれらのツールは主観で質問に答えて診断するので、そもそもの自己像が正しくないと、誤った分析結果が出てしまう。
基本的に人は都合の良いように自己イメージを捉えます。
例えば学力テスト(統計的データ)で真ん中の成績をとっているのにもかかわらず「集中して勉強したらもっとできたはずだ」と決めつけてしまう。
本来の学力はもっと高いと身勝手に解釈し、能力のわりに成績が悪いと勝手に判断するわけです。
他者がもっと努力する可能性については、あまり考慮されません。
つまり現実に則していない自己像を持つと、自己分析の精度が下がる。
自己イメージをできるだけ正確に捉えるためには3つの目を意識します。
- 自分の心の動きを見つける目
- 自分の中に存在する他者の目
- 本当の他者の目
自分の心の動きを見つける目
自分が何を感じ・考えているのかを知覚する目です。
例えば上司に「褒められてうれしい」と主観的に考えるのではなく、「上司に褒められてうれしいと感じているんだ」と客観的に理解するという感じ。
これはメタ認知と言われます。
自分の中に存在する他者の目
第三者の視点をイメージして、メタ認知で知った自分の心の動きを評価します。
上司に認められたいと思っていたから、うれしい気持ちが起こったんだ
このように考えると、感情の流れが分かるので、より自然に自己評価ができる。
他者の目とは、自分の主観にとらわれない評価基準を持つことです。
例えば友だちや家族・有名人・歴史上の人物になりきって、その人ならどう考えるのかイメージをすると答えやすい。
本当の他者の目
どれほど客観的に自己像を捉えたとしても、それは自分1人の評価ですよね。
価値観は人それぞれなので、周りの人は自分と違う見方をします。
そこで仲の良い友人に自分がどう見えているのかと聞けば、思いもよらぬイメージを教えてくれるかもしれません。
熱心に取り組んでいた仕事が成功したから、うれしいと思ったのだろう
しかし友人は自分(私)を励まそうと思って、ポジティブな評価をくれるかもしれません(嫌なことは告げたくないですから)。
そこで一歩突っ込んで「もし意地悪な人が自分を見たらどう思うのか」と聞いてみると、また違った意見がでて面白い。
評価を求めて目立とうとしている、と考える人もいそうだね
この意見も1つの自己像です。自分では否定したくなる情報でも、正確な自己分析に役立てられます。
友人などに聞きにくい場合は、自分自身で複数の人格になりきって、さまざまな角度で考えてみましょう。
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自分の傾向を知る姿勢を持つ
実は自己分析を極めようとしても、本当の自己像にたどり着ける人は(恐らく)いません。
「自分のことが分かった」と決めるのは自分自身の主観である以上、その決定も単なる決めつけになるからです。
つまり「私は頑固だ」「私は芸術肌だ」と決めつけると、正確な自己分析からは遠ざかっていきます。
むしろ必要なのは自己像の傾向を知ることでしょう。
例えば「私は頑固なところもある」「私は芸術的な感覚も持っている」という感じです。
「〇〇だ」ではなく「〇〇も」という柔軟な捉え方が大切というわけですね。
自己像を傾向で捉えると、どのような意見でも吸収できることがメリットになる。
もし頑固だと決めつけている人が、友だちに「決めたことをコロコロ変えるよね」と言われたら、
- 友だちが言うことは間違っている
- 自分はコロコロ意見を変える人なんだ
というように、白黒はっきりした解釈しかできません。
一方で頑固なところもあると傾向で考えられる人は
意見をコロコロ変える一面もあるのか
と捉えられる。
このように周りの意見を柔軟に受け入れられると、自己像を何度も見直せるのです。
自己像を見直す習慣を持つと、自分の心を探求できる。
探求する姿勢を持てば、自分に都合の良い主観や他者の言葉をそのまま「絶対だ」と解釈せずに、「そういうところもある」と自己分析ができる。
自分のことは決めつけなくてよいのです。
どのような傾向が自分にあるのかを意識すれば、ありのままの自分を感じ取れます。
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おさらい
人の心は完全に満ちることはないでしょう。
しかし満たされないと嘆くよりも、満たすための行動ができたほうが、心は健康でいられる。
そして心を満たす一番健全な欲求は自己実現なのです。
自己実現の欲求は2つの目的を追い求めることで満たされます。
- なりたい自分に向かって自己成長を続ける
- 思われたい自分を捨て、ありのままの自分を捉える
誰かのために自己成長できるような思考を持てば、自分自身も幸せでいられるでしょう。
また周りの人や環境に惑わされて生きるのではなく、自分の考え方の傾向を知りありのままの自分を見いだせば、ストレスが少なくなる。
自己実現を追い求めるようになれば、心が満たされないことは気になりません。
それが自分の人生を楽しむコツなのかもしれませんね。