インターネットを見ていると勝手に視界に入り、嫌な気持ちにさせるマンガ広告。
「グロテスク」「差別」など、人を不快にする要素がたっぷりで、理性的には無視したいもの。
しかし、ついマンガ広告をクリックして、しかも立ち読みまでしてしまったあなた。
そんな人に、その時起こった気持ちの変化を解説します。
不快なネットマンガ広告をクリックする理由
多くの人はウェブマンガ広告を見ると、怒りや恐れを感じ嫌な気持ちになります。そんな広告をクリックしたことはありませんか?
実際、私もクリックしたことがあります。そして後悔しました。
同時に不思議に思ったのです。どうして見たくもないものを見てしまったのかと。
そもそも人間の心理には、不快なものでもクリックしてしまうメカニズムがあるのです。
突然の恐怖からは目が離せない
サディストは誰かが傷つけられている絵を見て快感を覚えるかもしれません。
しかし、大半の人はサディストではない。そんな絵は理性的には見たいと思わないでしょう。
そんな普通の人でも恐怖から目が離せなくなる「注意集中効果」という考え方があります。
- 注視集中効果
- 事故や暴力など身の安全が脅かされた状態では、恐怖で混乱する。そのため、視認できる範囲が問題現場に集中し、周りの状況に注意を払えなくなる。
人は予告のない恐ろしい出来事がおこると、それから目を離せなくなります。
スマートフォンの画面をスクロールすると、画面の外からいきなりマンガ広告が視界に入ってくる。
危険に対処しようとそこに注目する本能的な欲求がある以上、見たくなくても見てしまうのです。
しかし、見たくない広告があると予期していれば、視界に入らないようにできます。
少し面倒ですが、インターネットを使うときには意識してみましょう。
- 突然、衝撃的な映像を見てしまったら、その場から目を離せない
※当サイトは、多くのマンガ広告をブロックしています。
誰にでもある差別意識が優しさを揺さぶる
貧乏・汚部屋・オニ姑(しゅうとめ)など、グロテスクなテーマではないのに、なぜか不快感を覚えてしまうマンガ広告。
「差別反対!」と素晴らしい信念を普段から大事にしている人こそ、嫌な気持ちになるのです。
差別をしない心とは、自分とすべての人に差別される違いなどなく、平等であると信じること。
しかし、ほとんどの人が成長していく過程で、さまざまな差別に遭遇し、記憶しています。
今でも社会という大きな集合体は人を差別し続けています。そして社会は人に差別を促す見えない圧力をかける。
そして環境から身につけてしまった誰の心の底にもある差別の源泉が、弱い立場の人を差別しています。
それは、差別的な広告に惹かれてしまう無意識が存在するということです。
しかし、自分は差別をしない信念が常に意識されている。
そんな無意識と意識の矛盾を解消できないストレスにより、怒りや悲しみのような不快感を覚えるのです。
- クリックして作品を読み、それを否定することで、差別しない自分の心を肯定しようとする
興奮をエッチな気持ちと勘違いしている
拷問・暴行などの暴力行為は、恐ろしくて見たくないはずなのに、なぜか食い入るように見てしまうのはなぜでしょう。
暴力行為はフラストレーションを解消する行為です。相手を服従させることで自分の正当性を感じます。
そして、暴力は性衝動に連想されやすい。
誰かを傷つける時、人は異常な興奮状態になります。その興奮を性的欲求と間違って結びつけてしまいます。
多くの人はバイオレンスな状況を本来見たくないと思っている。しかし、それが無意識の嗜虐(しぎゃく)心をかき立てる。
胸のドキドキをエッチな気持ちと勘違いしてしまうのです。
- 暴力にエロスを感じ、興味が増強される
なぜ嫌な気持ちになるのか、知りたくなってしまう
マンガ広告を見ると心がモヤモヤとします。その感覚が不快と感じますよね。
ほとんどの広告は断片的な表現に留め、続きを見たくなるようになっています。
本来なら、そんなマンガの続きは見たくないはず。そんなはずなのに、続きが気になってクリックしてしまう。
なぜでしょう?
人は不快感を感じると、ドキドキする・冷や汗をかくなどの身体的変化が生じます。
そして、自分のさまざまな身体的変化に、理由をつけて理解したいと感じるのです。
その広告をクリックすることで、さらに嫌な気持ちになったとしても、理由をつけられたので納得感や開放感を得ます。
見たくないものにひきつけられてクリックしてしまう。そんなことをしても結局、自分を傷つける行為になってしまいます。
そんな気持ちは「しているかどうかも定かではない、浮気の証拠を探してしまう心理」に似ているなと感じます。
- 見たくないものを見たくなる、自傷行為の一種
まとめ
マンガの広告は、人の心理的弱点を突いてきます。ウェブマンガ会社なりの研究成果なのでしょうが、傷つく人がたくさんいることは看過できません。
そして、広告の表現によって印象をゆがめられたマンガは評判を落としているのではないかと思います。
早くこの悪い流行が終わるように、ユーザーと著者が自分でできる対策を講じていきたいですね。