「やっぱりプレゼントはサプライズに限るでしょ!」
喜んでくれるのを楽しみにしていた。しかし受け取った相手の表情はどこか陰り、「ありがとう」がウソっぽかった。
人の関わりはお互いの心に影響を与えます。善意でも相手の解釈によっては押し売りに感じる。
誰かの役に立ちたいという気持ちは、どうしたら押し付けにならないのでしょうか?
相乗効果を意識します。
確実に利益を生む善意の考え方を検討しましょう。
目次
善意は受け取られない?善意の押し売りが生まれる理由
善意は迷惑と表裏一体
ところ変われば「善」は「悪」になる。国家の関係を例に出すとわかりやすいですよね。毎日のようにどちらが正しいか論じ合っています。
人間関係でも同様です。相手のためだと思っている行動が、実は迷惑だったと思われる無念は日常茶飯事でしょう。
善意とは主観的な解釈です。
どんなに客観的な分析をしたつもりでも、最終的な意思決定は主観による。たとえ似た考えでも主観は個人的な価値観です。
この事実を知らないで自らの行いを一般的に正しいと決めつければ、相手は不快を感じてしまう。
また善意の行動自体は好ましくあっても、相手の態度が気に障って素直に喜べないかもしれない。
善意は個人的な価値観という事実を忘れてはいけません。
互助の文化は不満と共にある
互助とはお互いに助け合うことです。地域・親族・仕事仲間・友達関係……コミュニティでは自然に互助の関係性ができる。
複数の人々が決まりを持たずに交流すれば、確実に価値観の相違が起こります。
善意は受け取る人によって解釈が違いますよね。押し付けられたように感じると苦痛になる。
一般的な人の心理ですが、施されるとお返しをしなくてはならないと感じる。一方が助けると、一方は責任を感じるんです。
望まない善意を受けると、お返しの責任が不満を生む。
適切な助け合いはお互いの活動に良い影響を与えます。しかし借りを感じると互助を負担に思う人がいるのです。
他者はコントロールできない
善意は人に向けて物や助力を「受け取る」ように促しています。つまり行動を求めている。
相手のために自分の持つ資源(お金・時間など)を贈るわけですが、譲る行動には受け取るというリアクションが必ず伴う。
受けとってくれなかったら求めていたリアクションが得られないので、不快を感じます。
不快感はないほうが良い。だから相手のリアクションを得ようと期待してしまう。ときには無意識で。
求められた行動に強制を感じたら反発したくなりますよね。受け取る側の解釈によっては善意にプレッシャーを感じてしまいます。
善意によるマウンティングとでもいいましょうか。相手の共感を得ていない期待は、押し付けに感じてしまう。
物があふれた社会
善意のつもりで贈り物をしても、相手はいらないものを押し付けられたと感じるかもしれません。
ほとんどの日本人は生活をしていく上で必要な最低限の物品を持っています。
たとえばスマートフォン(以下スマホ)は20代の普及率が94.2%もある(2016年)。
総務省|平成29年版 情報通信白書|数字で見たスマホの爆発的普及(5年間の量的拡大)
今や必需品と感じられるスマホですが、高い普及率が持たざるを得ない状況を作っている。スマホを持たずにできる仕事はたくさんあります。
つまり収入が少ない20代でもほとんどの人が「ぜいたく品」のスマホを持てるほど、日本は物質に恵まれた環境なのです。
小売店も過剰なほどありますよね(一部の地域を除く)。ネットショッピングも気軽に利用できる。好きなときに足りないものを買い求められます。
特に食品はちょっとした贈り物に使われますが、日本は膨大な食品廃棄物があり、社会問題にすらなっている。
また物を捨てるためにはお金が必要です。自治体ではゴミ袋を指定し、手数料を上乗せして販売している。
不燃物の回収にもお金がかかる。パソコンなどの家電リサイクル法対象品は、気軽に捨てられないほどお金が必要で、なによりも捨てるときの作業は一苦労です。
物を人に譲るときは、いくら善意を持っていても、配慮をせずに渡せば迷惑になる。
手軽に済まそうとしてはいけない
相手が物品や手助けを本当に欲しがっているのか、その確認をしない善意は押しつけになる可能性が高い。
サプライズ(不意打ち)……これがなかなかの曲者です。
確かに予想しないプレゼントや手助けを受けて、問題が解消されたり欲望が満たされたりしたら、喜びは倍増するかもしれません。
しかし相手が必要としなかったら、不意打ちの善意でも押し付けになる。
サプライズは思いやりというよりも、贈る側が相手の反応に過度の期待を込めている傾向があります。
綿密にリサーチをすればサプライズの成功率が高まるので、やるからには徹底的に計画をしたほうがよいでしょう。
このように贈る側と受け取る側の解釈が異なると、善意は押しつけになってしまいます。
しかし相手のために何かがしたいという道徳的な心がけは、社会で生きる人にとって大切な感情ですよね。
家族・隣人・友人から、地域・会社・世界を包括する「社会」へ貢献することは、自己成長の大切な営みでしょう。
善意が押し付けにならないために、どんなことに気をつければよいのでしょうか?
相乗効果を意識するんですよ。
押し売りにならない、善意を生かす作戦
1.相手を心配する
「自分の気分を良くしたい」と期待した場合、お互いの気持ちがすれ違ってしまいます。
- 押しつけを防ぐためには、相手を心配する
自分の不安や欲求の解消のために人を利用しないと意識します。
善意を贈る理由は「相手の困りを解消したい」と一つに絞る。
たとえば会社の後輩に業務のコツを教えるとしましょう。この場合
業務のコツを教えることで、後輩が抱える問題を解決する
という目的が生まれる。解決の道筋は2つあります。
- 業務のコツを教わった後輩が行動を起こし、問題を解決する
- 後輩が抱える問題では、業務のコツを教えなくてもよいとわかる
後輩から「教えてもらう必要はない」と言ってもらえれば、実は問題にしなくてもよかったと分かります。
必要ないと言っているのだから教えなくてもいいんです。
そもそも問題でないとわかれば、心配は解消します。心配が解消すれば、自分の善意は正しく消化される。
……なかなか強引な解釈だと思うでしょうが、これが善意の押し付けにならない境目です。
境目を超えると善意ではなく「働きかけ」です。業務を教えるという仕事や、ただのおせっかいになる。望まない働きかけは押し付けですよね。
しかし多くの人は問題を解決するしか答えがないと思うので、善意を否定されたら嫌な思いをしてしまう。
どうしても押し付けるなら善意ではなく、働きかけの意識を持ちます。
2.相手に選択権を与える
そもそも「贈りたい欲求」から考えると、相手を思いやっての行動ではありません。
手助けの有無にかかわらず問題を解消しようとする心がまえが善意の条件ですよね。
必ず申し出を受け取る側が気軽に断れるように配慮する必要があります。
まず贈れるものが必要なのか、入念にリサーチします。基本的には相手に要否を尋ねる。必要がなかった場合は、計画の段階で贈り物を止められます。
サプライズは慎重に計画したほうがよい。どうしても事前に伝えられないのなら徹底的に必要可否を調べ尽くします。
実際に物や手助けを贈るときも、断りやすい提案を織り交ぜる。
- もし必要だったら、もらってくれない?
- 手助けが必要だったら、ひまがあるので気軽に声をかけてね。
「もし〜」「〜だったら」と条件をつけると、断りやすいですよね。
また「本当は必要なのに、遠慮して断っている」と疑ってしまうかもしれません。
しかし遠慮しているのなら相手はプレッシャーを感じていると考えられます。それなら無理して渡さなくてもよい。
必要だと感じる人に渡るから、贈り物は役に立ちます。どうしても贈りたいと思うのなら、
- 心配になったら何度でも準備をする
- 断りやすいように配慮する
と諦めずに行動すれば、いつかは受け取ってくれるはずです。
3.自己完結を第一に考える
物や時間は余すことなく使い切ったほうが効率的です。余ったものは誰かに贈りたくなる。
贈り物や手助けが相手に求められなたら、資源の有効活用といえます。
しかし余らせることを前提として行動するのは、ムダを作るリスクが大きい。相手にとって不必要だったら捨てるしかありませんから。
なので自己完結を第一に考えます。自分と相手、2人の登場人物がいますよね。
- 自分:資源を余らせない
- 相手:一人でできることには介入しない
自分:資源を余らせない
必要最小限の物品で生活するのなら、物が余ることはありません。よく考えて購買活動をし、衝動買いをなくすように心がけます。
また忙しくすることで、誰かを手伝う余裕はなくなる。
利己主義のように感じられますが、自己完結できる行動で社会に貢献すれば問題はない。
お節介をするくらいなら、仕事を見つけて(作って)行動したほうが、確実に社会にとっての利益を増やせます。
相手:一人でできることには介入しない
少々厳しくても結果的に問題が解決できるようなら、わざわざ手助けする必要はありません。
むしろ手を出すと、相手が成長する機会を奪ってしまうかもしれない。たとえば、
- 節約生活をがんばっている人に、物品を贈ることが正しいのでしょうか?
- 困難にぶつかって試行錯誤している人に、安易に手を差し伸べていいのでしょうか?
もちろん無理をして体を壊されるのは、仲間として避けたいでしょう。だからこそリサーチを徹底して、必要性を見極める。
善意の押し付けにならないためには、自己完結できることには手を出さないようにします。
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4.周りの評価に振り回されない
周囲の人たちから肯定的な評価を得たいと思う気持ちは、誰にでもある欲求です。
しかし相手に気に入られようと「いい人」を演出しても、その欲望は敏感に察知されて煙たがられます。
好かれようと焦ってはいけません。余裕を持ち、やるべきことを高い精度でこなす。周囲への配慮をかかさず、本当に必要なときに手を差し伸べる。
できる限り日々を真面目に過ごせば、自然に善意は伝わるはずです。
つまり着飾らずありのままの自分でも、努力を継続すれば周りの評価は高まります。
実質を伴わない評価は、見せかけの信頼しか生みません。
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5.相手の利益を優先する
誰かと協力して成果を生み出した時、利益を多めに譲る。この場合の利益はお互いが必要としているので、最適な贈り物なんです。
たとえば商取引はお互い得をすることが前提になる。そこで欲張りすぎずに相手にとって良い条件を提示します。つまり費用対効果を高めてあげるのです。
仲間と仕事を成功させたなら、仲間の良かったところを積極的に上司や関係者へ伝え、評価を高める手助けをする。
このようにわざわざ贈り物をしなくても、自分が一歩ひくだけで善意は相手に届きます。
自ら主体的に行動できて、なおかつ条件が良い案件は誰でもほしがります。自らその条件を構築することで、相手はあなたが手放せなくなる。
相乗効果で生み出す利益こそ、善意を発揮する一番の条件です。
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おさらい
善意で何かをしてあげるのは、ほぼ間違いなく自分の欲求を満たそうとする行為でしょう。
しかし他人に貢献したい感情を持てる人は、道徳的に優れた社会が求める性格を持っているのも事実です。
助けてあげたいと思うのなら、相手の利益を高める努力をする。
そのためには必ず手間がかかります。その手間を惜しまず相手の利益を高められれば、良好な人間関係が築けます。
できれば相手のためだけに行動せず、自分の活動と絡めて助けあう。
助け合いながらすべきことに精いっぱい取り組めば、相乗効果が利益を生むのです。
善意は関係の中で自然に循環し、安心できるコミュニティを築きます。
大切な人と助け合いながら、お互いに成長していきましょう。