意地悪な性格の改善

好きの反対語は無関心?嫌い?この論争を終わらせる心理学的考察

投稿日:2018-09-20 更新日:

好きの反対語は無関心?嫌い?この論争を終わらせる心理学的考察

「気にすんなって、”好き”の反対は”無関心”だから。」と、ドヤ顔でいう友だち。何度その定型文を聞いたことか。

好きの反対は嫌いじゃないか!?と友だちにツッコミたくなるも根拠を示せないので我慢。そして思い出してイライラする・・・。

好きと無関心と嫌いはどんな関係があるの?といろいろ考察してみました。

その結果、好きの反対は、無関心でも嫌いでもないと判明。

実は深い好き・嫌い・無関心の関係を徹底的に解説します。ドヤ顔で”決めぜりふ”をいう友だちを論破しましょう!

一般論の定義「好きの反対は無関心」

日常会話だけではなく、人付き合い・商売についての書籍などにも書かれる「好きの反対は無関心」という一般論とはなにか。

一般論①嫌われているうちはまだ良い

例えば、顧客のクレームにイライラしちゃって上司に相談した際。

「怒ってくれるだけまだマシです。”好きの反対は無関心”、相手にされなくなったらそれで終わりですよ。」というふうに使われます。

クレーム処理はチャンスでもあると言い換えられますね。

一般論②好きと嫌いは実際同じ

会社のあるグループが、あなたの陰口を触れ回るとき。

「好きの反対は無関心、だから嫌いは好きと同じこと。結局、彼らは気になるからあなたに意地悪をするの。本当は好きなんじゃない?」

ちょっと行き過ぎたポジティブシンキングのような気もしますが、その仮定を基に関係改善の対策を講じられるかもしれません。

「好きの反対は無関心」の危険性

以上、一般論①と②は2つとも”嫌い”に焦点を当てた考え方って気づきましたか?

すなわち、「好きの反対は無関心」は”嫌い”の前向きな解釈

相手の嫌いという感情の裏にある心理(欲求)を活用して関係を改善しようというメッセージに聞こえます。

しかし、クレーム顧客もいじめグループも、多様な感情の働きがあり「嫌い」を表現するに至ったはず。

人の気持ちは「好きの反対は無関心」と単純に片付けられないほど複雑なんですよ。

好きの反対は無関心ではない理由

図①のように、好きと無関心が反対概念ならば一本の線上に表現できます。

しかし、これだと”嫌い”がどこにもないので却下

仮説①好きと無関心が反対概念なら嫌いがない

図①好きと無関心が反対概念なら、嫌いが無い

次に、好きと嫌いが同じことだと仮定。

しかし、図②のように起こる感情は一致せず、むしろ逆。

なので、それらががまったく同じというのはありえないので却下

喜び(好き)と怒り(嫌い)の表情

図②喜び(好き)と怒り(嫌い)の表情

最後に、好きと嫌いは同一方向の要素と反対方向の要素があるとの解釈で、図③のように、好きと嫌いと無関心を三角形に配置。

好き、嫌い、無関心の三角関係

図③好き、嫌い、無関心の三角関係

好きと無関心が反対という仮説の上、図④のように折りたたみ重ねると、嫌いの反対はちょっと好きになってしまう。そんなわけがないので却下

図④、図③を折り曲げると嫌いの反対はちょっと好きになる

屁理屈に聞こえる部分があると思いますが(笑)。「好きの反対は無関係」を証明できないということがわかりましたか?

関心とは意識に上る頻度

無関心と関心の意味

無関心とは好きの反対でなければ、一体何なのか?

無関心は、”無”と”関心”が合わさった言葉です。”無”は0ですよね。関心0ってことです。

関心1より大きいと”関心”と表現できます。

では、関心とはなにか。

ある物事に特に心を引かれ、注意を向けること。「政治に関心がある」「幼児教育に関心が高まる」「周囲の関心の的」

と、Goo辞書には説明されています。

「物事」とは、上の例だと政治・幼児教育・的など、主に名詞。もちろん泳ぐ・食べるなどでもOK。

”人”はよく好き嫌いの話題で上がりますよね。自分の子ども・上司・父親・いじめっ子とか。

「心を惹かれ、注意を向ける」という部分は、「気になって思う(考える・思考する)」と言い換えられる。

人は一つしか同時に思考ができないので、「その物事に思考を支配される頻度」が関心と呼べます。

思う回数が多いほど、関心が高い

例えば、一日に10回しか思考できないという生物…ぴょんきちくんがいるとします。

ぴょんきちくんの一日、関心、行動、感情

ぴょんきちくんの一日、関心、行動、感情

ぴょんきちくんの一日の思考結果は

  • 飼い主のこと・・・5回
  • 自発的な欲求・感覚(食べたい・寝たい・おいしい)・・・4回
  • テレビのこと・・・1回

このように、ぴょんきちくんは1日の半分、飼い主のことを考えていますね。

ぴょんきちくんは飼い主に高い関心を持っていることがわかります。

一つの物事は、複数の感情に結びついている

ぴょんきちくんの例では、物事:飼い主のことにイライラしていたようです。

しかし、ぴょんきちくんが嫌だったのは「空腹」。おなかが空いたイライラを飼い主のせいにした。

元となる原因:空腹が、欲求:食欲につながり、行動:待っているだけで、結果:欲求が満たされなかったので、感情:怒りを感じた。

欲求不満の矛先が飼い主に向けられる、ぴょんきちくんの一日

欲求不満の矛先が飼い主に向けられる、ぴょんきちくんの一日

その怒りの矛先が、物事:飼い主に向かいました。

しかし、食事が終わったあと、飼い主に感謝をしています。

原因・欲求・行動は同じ内容でも、結果:欲求が満たされた(おなかいっぱい)になったので、感情:喜び・感謝となりました。

感情の変化がポジティブに、ぴょんきちくんの一日

感情の変化がポジティブに、ぴょんきちくんの一日

同じ物事(飼い主)に対して、ポジティブ・ネガティブ両方の感情が起こったわけです。

一つの物事は、一つの感情が原因となるだけではない。

一つの物事に、好意的な関心と否定的な関心が同時に存在します。

好き・嫌いは複雑な要素が絡み合った「態度」

ポジティブな感情は物事を肯定的に評価します。すなわち「好き」側に高めます。

反対に、ネガティブな感情は物事を否定的評価、「嫌い」側に低めます。

何度も行われる評価によって、物事が好きか嫌いか決まるのでしょうか?

それだけではありません。好き嫌いを決める要素は大きく分けて2つあります。

  1. 感情による基本的な評価
  2. 倫理・社会的文脈・信念

1.感情による基本的な評価

ポジティブな感情は好きとなり、ネガティブな感情は嫌いとなります。

心を動かすような思いや出来事が起こると、脳内で神経伝達物質による情報の伝達が行われ、同時に快感・不快感が生じます。

対象の物事(例えば飼い主)がその相手(例えばぴょんきち)へ快感・不快感どちらを感じさせたかによって、相手が持つ物事への好き嫌いに影響を与えます

例えば、「餌をくれる飼い主は大好き!(食欲が解消できて快感)」ですし、「指で突付いてくる飼い主は大嫌い!(痛いのは不快感)」という感じ。

このように、好きと嫌いは”量”で評価できず、一つ一つの状況を”質”で評価します。

そして状況に応じて、複数の中からその状況にあわせた評価を抜き出し、好き嫌いを判断します。

楽しい時は良いところを思い出したり、イライラする時は嫌なことを思い出したりするんですね。

2.倫理・社会的文脈・信念

「親は子供が好きであるべきだ」という社会一般的な信念。

「教師は誰にでも愛を持って接する」と考える職業的ステレオタイプ。

また、「酒は自分を苦しめるから嫌なものだが飲みたくなる。そして飲んだら楽しい。」という個人的事情。

それらは、「○○じゃなきゃダメだ」と自分の感情に影響を与える可能性があります。

このように、本来感じている快感・不快感の解釈を、社会的な要因によって捻じ曲げると、好き嫌いの評価は単純なものではなくなる。

ねじ曲がった評価は「好きだが、つらい」など、物事に対する態度をより複雑に変え、自分でも好き嫌いの理解が難しくなります

普段使っている好き・嫌いの意味

一般的な好き・嫌いという感覚は、その状況限定で物事が「気持ちいい・気持ちよくない」という表明をしているだけ。

「気持ちいい・気持ちよくない」じゃあまりに直接的だし、フレーズとしても長い。

だから「好き・嫌い」というシンプルな言葉に代入しているだけなんですね。

好き嫌いは、状況によってさまざまな心の有り様を示す「態度」

好き嫌いだけで分かれる、単純な要素ではないんです。

好きが嫌いになったり、嫌いが好きになる

基本的に好きと嫌いの態度は「自分にとって心地よい」か、「自分にとって苦しい」か、その判断を繰り返し、それに社会的な要素を考慮して決められていきます。

しかし、強い快感・不快感があった場合、これまで蓄積した経験に優先して、現在の態度に影響を与えます。

シンプルに言うと「つい最近まで好き(嫌い)だったのに、今は嫌い(好き)」という状態はありえます。

例えば、いつも親身になって話を聞いてくれていた大好きな友だちが、実は私の失敗談を言いふらしていた。影でバカにして楽しんでいたんだ!と知った時、好きが嫌いに転ずるような気持ちになりますよね。

第一に、友だちに裏切られひどい心の傷を負ったので、強い不快を感じたこと。

それに加え、これまで仲が良かったときの快感は陰口を叩かれた不快な経験だったので、嫌いと再評価した。

その友だちの嫌な事ばかり考え、自分自身の心を強く傷つけ続けた結果、転じてその友だちは嫌いという評価に変わる。

また、いつもパワハラじみて自己中で俺様で私の大嫌いな西崎先輩。しかし、社員旅行中、不幸にも船が転覆し近くの無人島に社員数名が流された。皆の心がくじける中、西崎先輩は得意の釣りの技術を使ってみんなの魚(食料)を確保してくれた。偉そうな姿は影を潜め、「助けはきっと来る、あきらめずに頑張れ。俺が支えてやるから!」なんて言われたら、好きになっちゃいませんか?

生命に危険が迫っている時に生じる食事や安全の欲求は、平和なときのムカつく気持ちなんかより圧倒的に強い。

それで、西崎先輩の株は急上昇・・・。たまにイラッとはするけれど、なんか許せますよね。

ある相手がその状況では”快感”か”不快感”かによって、その人を好きか嫌いか感じる仕組みなんです。

刺激の量は感情の振れ幅に影響する

好き嫌いへの影響が少ない関心もある

好きでも嫌いでもないのに、ものすごく関心があることってありませんか?

例えば、ニュースで「カエルは胃袋を吐き出して洗える」って聞いた時衝撃を受け、知的好奇心のアンテナに引っかかる。熱中してインターネットで検索しまくって、知的好奇心を充足させる・・・。

しかし、そんなカエルが好きか?問われたら、どちらでもないって答えるかもしれません。

知的好奇心も”知りたい”という欲求。それが解消されたら気持ちいいのですが、物事への態度に大きく影響を与えないケースが多い。

比較的、知りたい欲求は刺激が弱い。

刺激が弱いと、快感・不快感が強く感じられず、好き嫌いはあまり変化しないのです。

刺激が強すぎると、好き嫌いを何度も繰り返す

反対に刺激が強すぎる快楽は感情に強い影響を及ぼします。

恋愛・酒・ギャンブル…これらをコントロールせず味わっていくと、心身にダメージが蓄積します。

次第にそれらに依存していき、最終的には「中毒」してしまいます。

依存や中毒におちいると、心身が消耗し自分を攻める気持ちが起こる

快感は転じて不快感となる。しかしまた刺激を受けて快感になる。

それを繰り返していくと好き嫌いの認識は狂ってしまいます。

トラウマは自分を苦しめる関心

街なかで通行人と肩がぶつかってよろめいた時、その場でイラッとはするがその怒りは知らぬ間に忘れてしまいます。

それくらいじゃ、肩をぶつけた人を嫌い続けるのは難しい。

一方で、会社の上司に存在否定をされたような暴言を受けた時は、それが頭から離れず何度も悲しい気持ちを繰り返します

この悲しい気持ちを繰り返す心の傷はトラウマなり、このそして上司のことを嫌いになる。

ポジティブ・ネガティブどちらの感情も、その刺激の強さによって、好き嫌いの感情に影響を与えます

好き・嫌いと関心の関係

強く好き嫌いと感じるほど、関心が高まる

ここまでで、好き・嫌い・無関心それぞれには反対関係が無いこと、関心と好き・嫌いの意味がわかったと思います。

しかし、まるで関係が無いわけではなく、お互い影響を及ぼし合う「相関関係」があると言えます。

まず、好き・嫌いの態度の評価について、関心が高ければ高いほど、評価は変動していきます。

思考は意識を支配すること。感情の刺激強度や思考回数によって、物事の好き嫌い情報がどんどん増えていきます。

物事を好き(嫌い)になるほど、欲求や状況からその物事が連想されるので、関心が高くなります

疲れた!癒やされたい。よしおか田口か山田か、欲求に物事は結びついている

欲求に物事は結びついている

通常「誰かに癒やされたい」と感じた時には恋人を思い浮かべる。

時々、ただの同僚だけれど笑顔がかわいいイケメンの田口くんのことを思い浮かべる。

しかし、ほぼ関わりのないフツメンの山田くんのことは思い浮かべないはず。

この図の矢印が太いほど、その欲求に対してその物事への関心が高いということです。

トラウマは嫌な思いを脳内で再現

欲求とは別に、トラウマは嫌な気分を何度も連想させます。

さっきの例で行くと、上司の存在否定は大きなトラウマになり、頭の中でなんども繰り返し傷つけられるのです。

嫌な気持ちが意識を支配するので、他の欲求を感じにくくなる。結果、嫌な気持ちが長く持続します。

無関心でも好き嫌いはある

物事に対して無関心の場合、根本的にそれ自体が意識できないので、好き・嫌いの評価はできません。

まったく知らない物事は、そもそも認知すらしていない。

好き嫌いは認知をしないとありえない。

この場合、好き(嫌い)と無関心は、認知という観点で反対と言えます。

しかし、昔は関心があった物事の場合はどうでしょうか。

それらは、以前に認知をし、その時に好き・嫌いの態度を定めているはずです。

再度なにかのきっかけで関心が高まった場合、好き嫌いの態度は昔の記憶を参考にして定めます

無意識にある概念は、何かのきっかけで意識上に登り、好悪を再評価する

無意識にある概念は、何かのきっかけで意識上に登り、好悪を再評価する

ということは、

  • 無関心でも好き嫌いはありえる

と証明できます。

おさらい

「好きの反対は無関心」は、間違っていた!

本当の好き・嫌い・無関心の関係はこう。

  • 誰かのこと(何かのもの)が好き・嫌いという気持ちは態度。
  • 態度は好きと嫌いが混じり合っている。
  • 無関心とは、ある物事が単に意識に上っていない状態。好き嫌いとは関係ない。

どちらかといえば、私は「好きの反対は無関心」というフレーズは効果的だと思っています。

しかし、意味を自分の中でかみ締めないと、せっかくの名言なのに味が薄い「一般的な言葉」になっちゃいますよね

それは本当に残念なので、しっかりと見つめてみようと思いました。

思考力を磨くためにも、時にはむだなことを一生懸命考えてみましょう!

なお、個人的に考えただけなので、異論は認めます(笑)。

  • この記事を書いた人

やくしじ

産業カウンセラー。個人向けの心理カウンセリングと、少年院のキャリアカウンセリングをしています。すべての行動には目的がある。熱意・不安・焦り・イライラなどの制御できない溢れ出す思いを全人的に受容し、自己理解を支援する。単発的な傾聴のニーズや、継続カウンセリングを通しての自己変容や目標達成を支援します。ご依頼はお問い合わせへご連絡ください。詳しいプロフィールはこちら

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