ときおり「思い込みが激しい」とか「勘違いしている」とか責めるように言われる。
勘違いが良くないことは分かるけれど、思い込みの何が悪いんだろう。私が間違っているって言いたいのかな……。
思い込むって悪いことなのだろうか?
どうやら一般的には「思い込み」と「勘違い」の意味をごちゃまぜにされている気がします。
なぜごちゃまぜにされているのでしょうか?
思い込みをするから勘違いするという因果関係があるからです。
良いところも悪いところもある思い込みについて、徹底的に解剖します!
目次
思い込みの多くは勘違いになる
勘違いとは「間違った思い込み」
同じような文脈で使われる「思い込み」「勘違い」という言葉。
二つともはっきりとした意味を持っているのに、人それぞれ文脈に合わせて異なる使い方をしています。
それぞれの違いを知るために、まずは辞書を参考にして言葉の意味を押さえましょう。
- 思い込みの意味
深く信じこむこと。また、固く心に決めること。
- 勘違いの意味
間違って思い込むこと。思い違い。
つまり思い込み・勘違いに共通するのは「深く信じこむ」ということです。
それに加えて勘違いは「間違った考え」という意味も加わりました。
思い込みが親概念になり、そのなかに勘違いが含まれているとも考えられますね。
要するに思い込むから、勘違いをしてしまうという因果関係がはっきりとしました。
勘違いは、思い込まなければ起こらないのです。
考えるのが面倒だから思い込む
「思い込むな」といわれても、なかなか難しいでしょう。
実はなぜ思い込むのかという理由ははっきりしています。
深く考えるのが面倒だからです。
深く考えたほうが多くのことが分かりますよね。なので思い込みになりにくく、たくさんの可能性を踏まえて行動できるのです。
しかし深く考えることってなかなか難しい。
真剣に考えると集中力が高まりますよね。集中すると疲れてしまうのが嫌なんですね。
普段から運動をしない人が1キロ走っただけでも疲れるように、深い思考に慣れていないと一つのことを考えるだけでも苦痛なんです。
人は基本的に苦痛を嫌います。苦痛の先に快感を予見できて、やっと努力ができる。
例えば
外出のときは、わざわざ靴ひものチェックなんてしない。だから適当に愛用のスニーカーを履いて外に出る。
そのスニーカーのひもに、切れそうな兆候が見て取れたとしても……
結局のところ外で靴ひもがプツンと切れて、嫌な気分になる。つまりストレスを感じるんです。
このケースだと、
- (前もって)考えるストレスを受け入れるか
- (結果)靴ひもが切れて困るストレスを受け入れるか
悩むところでしょう。
しかし残念なことにほとんどのケースでは、「結果」困ることなど気づいていない。
「前もって」考えるストレスを嫌うために、深く考えたくないのです。
深く考えず物事を決めつけることを「短絡的思考」と呼ぶ。
思い込みは短絡的思考により、たくさん生まれてくるのです。
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経験が都合の良い解釈をする
大人の多くは人それぞれ豊富な知識を持っています。
新しい問題に直面しても、前の経験から得た知識を活用すれば、解決できることが多い。
その知識をもとに問題をしっかり熟考すれば、なんでも解決できそうに思えます。
しかし実際は、
気づいた表面的な情報だけで、自分の経験と類似点を見つけて関連付けている。
つまり考えているフリをしていますが、実は直感で答えているのと同様なのです。
これは幼い頃から続いている傾向です。多くの子供が根拠もないのに感覚だけで「絶対だ」と主張するように。
僕が子供たちにパソコンを教えた経験を例に出しましょう。
子供たちはマウスクリックを知っているだけで「(全部)わかってるから〜」とパソコン操作全体を知っている錯覚におちいりやすい。
大人も同様に一部分を見て全体が理解できた気になる。僕の体験から例を出します。
頻繁に行くスーパーマーケットで出口を間違える。右に曲がると外に出るという直感が働き、反対方面に出てしまう。
おそらく僕のなかで出口は右という思い込みがあるのでしょう。どこかの店と間違えているのかもしれません。
このように記憶に縛られて直感で判断することを「認知バイアス」と言います。
認知バイアスは間違った答えにたどり着きがちです。
そして思い込みはまさしく認知バイアスの原因でしょう。
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全ては思い込みだと考えられる
少し小難しい話ですが、人間の考えていることは全て思い込みだと考えられます。
つまり事実か間違いかわからないのに「事実」と思い込んでいる。
普遍的な事実というのは客観的に観測できる事象の因果関係が明らかになったことです。例えば、
- 温度
- 重さ
- 血液型
つまり事象の因果関係に、人間が基準を当てはめられたことが普遍的な事実なのでしょう。30℃・20グラム・A型のように。
普遍的な事実は確立していると考えられています(科学の進歩で変わる可能性はありますが)。
しかし人間の考えることは、現段階の科学的な法則に当てはめたとしても、ランダムの域を出ていない。
つまり
考え方は人それぞれなのです。
これより以下は考え方の違いを表した例です。
小学校の保健の先生が子供の熱を測っていると想像してください。
デジタルの温度計と水銀(アナログ)の体温計を使った場合、それぞれの結果に差が出る。
デジタルの体温計が示す値は、数値がはっきりと現れるので誰が見ても同じ(37.2℃)。
一方で水銀の体温計を見てA先生は37.0℃と言うかもしれませんし、B先生は37.3と言うかもしれません。
体温を示す水銀の色がメモリのどのあたりにあるのか読み取る際に差が生まれた。
つまり不確かな事象の読み取り精度は、個人の主観に依存するのです。
よって病状のような明確なメモリのない主観的な判断は、大きく個人差が出る。
保健の先生は体温以外に分かる情報も考慮して、病状を判断するでしょう。それでも、
- A先生:「これくらいの熱なら授業を受けて大丈夫」
- B先生:「寒気も伴うようだから帰らせたほうが無難だな」
と人それぞれ違う判断をしてもおかしくない(特にA先生は体温を重視して判断したようです)。
後から都合よく解釈してしまう
ここで問題が一つあります。
子供の熱が下がった場合、その結果を受けて先生2人ともが自分の判断を肯定できるということです。
- A先生:「やはり授業に出して正解だったな」
- B先生:「やはり自宅に帰して正解だったな」
お互いがとった行動は間逆なのに、結果が安心できるものだった場合、自分の判断が良かったからと因果を感じてしまう。
もちろん感じただけの因果は思い込みです。
個別のケースは分割できないので、A先生の判断とB先生の判断を比べることは不可能でしょう。どちらの判断が良かったかは永遠に謎のまま。
これは先ほど説明した認知バイアスの一つ、後知恵バイアスで説明できます。
良かった結果を見て「自分は正しい選択をしている」と、過去に行った判断を肯定的にとらえる。
このように認知バイアスを繰り返すと、人の思い込みはますます盛んに行われるようになる。そして思い込みには気づきません。
では結果が悪かった場合はどうなるでしょうか?
結果により勘違いは暴かれる
先程の保健室の例に戻りましょう。
子供の熱が急激に高まったとする。要するに結果がより重大になったというわけです。
B先生は「自宅に帰して正解だった」という態度は変えなくてもよい。そのおかげで家族が病院に連れて行けたでしょうから。
しかし高熱が出たのに授業を受けさせたA先生の判断は、間違っていたと思われる。
衰弱が著しいようなら、子供の具合が悪いのに自宅へ帰さなかったことを保護者から責められるかもしれません。
「これくらいの熱なら……」という思い込みは、保護者によって勘違いに断定されたわけです。
もし単純に運が悪くて熱が上がったとしても、A先生の判断が悪かったことになる。
つまり熟考したとしても、結果として思い込みになるかもしれない。
人は真実をわかったつもりになりがちです。
しかし主観で判断する性質がある以上、真実などわかるはずがない。
それでも短絡的な判断をするよりは、深く考えたほうが悪い結果は起こりにくいでしょう。
A先生よりB先生のほうが、子供の病状に影響する要素を考慮できたから適切な判断になった、と考えられます。
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思い込みミスの原因:短絡的思考のメリット
これまでのことをまとめると思い込みを生みやすい短絡的思考はないほうが良さそうです。
しかし実際は短絡的思考がないと、私たちの日常生活は破綻してしまいます。理由は3つ。
- 短絡的思考は疲れない
- 複数のことを同時にできる
- 複雑なことが自動的にできる
短絡的思考は疲れない
すでに説明した通り、考えると疲れる。しかし日常生活は選択肢だらけです。選択肢を決めるには考えなければいけない。
そのつど真剣に考えてたらストレスがたまります。苦痛と共に暮らしていくことになるでしょう。
考えすぎるのを防ぐためには、前もってどのように選択するか決めておけば楽ですよね。
すなわち習慣化してしまえばいいんです。例えば、
- 朝起きたら顔を洗う
- 牛乳をカップに入れてレンジで温める
- トーストを焼いてバターを塗る
という場面で誰もが無意識に活用しています。
朝起きて「本日は顔を洗うべきか、洗わぬべきか……」と考えてはいない。
起きたら顔を洗うという習慣が身につけば、何も考えずに行動が起こせる。そうしたら楽ですよね。
習慣化できれば一つの行動にかかる精神的負担がなくなるのです。
そして習慣化は「毎日行う当たり前のこと」という短絡的思考があってこそ成り立ちます。
この仕組みを利用して、考えるのが面倒なことを習慣化していく。
毎朝ウォーキングすると決めたけれど、面倒だ。今日は止めておこうかな……
と考えると疲れてしまいます。初めはどうしても意思決定は苦しい。しかし習慣化するノウハウを使って数週間続けられれば、
朝起きて顔を洗った後、無意識で脱衣所にあるジャージに手を伸ばして着替えた
というように行動が自然に行えるので、外に出て歩きだすためにわざわざ選択をしなくなるのです。
習慣化のノウハウは30日チャレンジがおすすめ。以下の記事が参考になると思います。
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複数のことを同時にできる
実験をしてみましょう。以下の二つのことを同時にしてください。
1つ目は「14×35」を暗算で解く。
2つ目は定規を使い、紙に7mm刻みで点を打つ。
二つ同時にできるでしょうか?
なかなかできる人はいませんよね。
人は一つのことしか考えられないのです。
一方で慣れていることなら、計算しながらできてしまう。
例えば歯を磨きながら、14×35に考えを巡らせることは可能です。
なぜこんな事が可能なのでしょうか?
歯を磨く方法が体に身についているから、つまりコツを知っているからです。
コツがあれば無意識で歯を磨けます。少々大ざっぱになるかもしれませんが一応できる。
もちろん歯磨きに集中を傾ければ、同時に掛け算はできません。
このように体に身についているコツは、深く考えてなくても行使できる。
コツも良い短絡的思考の一つといえます。
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複雑なことが自動的にできる
スポーツ選手は複雑な動きを精密に表現します。しかしコツを知っているので深く考えなくてもできる。
コツには重要な効果があるのです。
勝つためにはさまざまなことを考えなくてはならない。
しかし難しいことを考えられるのは一つですよね。だからこそ限りある思考を「勝つための戦術」に使いたいわけです。
例えばプロテニスプレーヤーはレシーブを打つという動作のなかに、熟練の経験から導き出した最高の動きを詰め込んでいます。
もちろん素人はプロ級のレシーブなどできない。
素人が再現しようとしたら、注意深く体の位置を確認する必要がある。
なんとか形にはできたとしても、ぎこちない動きになるはずです。
そして動きだけで精一杯になり、ゲームの組み立てを考える余裕はなくなるでしょう。
一方でプロは練習を何度も重ねた結果、最高のレシーブを無意識のうちにするコツができています。
その結果ボールが来たらほぼ直感で打ち返せる。
直感とは短絡的な思考ですよね。実際の試合では思考をしていることすら気づいていないかもしれない。
コツで集中力を節約できるので、重要な問題(戦術)に思考を当てられる。
運転歴の長い人が車の運転をほぼ無意識でできるのも同様でしょう。
初心者は運転に精一杯で道を間違えやすい。一方でベテランは地図に集中しながら運転できるから、スムーズなドライブが可能なのです。
おさらい
「思い込みしているよ」「勘違いだよ」というフレーズはどちらも同じに聞こえますが違う概念です。
実際は思い込みをしてしまうから、勘違いが発生している。
そして思い込みは勘違いになる可能性が高い。
論理的な思考をするためには「よ〜し考えるぞ」と(意図せず)集中する必要があります。
集中は疲れる。よって疲れたくないから短絡的な思考をしてしまう。
短絡的思考は思い込みの原因です。失敗をしないと思いこんでいることすらわからない。そして思わぬところで痛い目を見る。
しかし思い込みのメカニズムは、日常生活には欠かせません。
面倒なことは習慣化すればいい。難しいこともコツをつかめば自動的にできる。そして考えながらでもコツを知っている動きは同時に行える。
思い込みというのは冷静な思考を阻害する一方で、上手に活用すれば自己成長を促進する重要な概念なのです。
次の記事で思い込みで起こる勘違いを減らすテクニックをご紹介します。