表面上、運動会は「友情を育むため」「がんばれる人になるため」とありきたりな目標を立てる。
しかし、参加の意欲が弱い子どもたちに、勝て、負けるな!とけしかけて、勝利に執着させているじゃないか。
安易に勝利を扇動すると「人間は勝てるやつが偉い」と子供は勘違いしてしまわないか?
勝利を目標にするな。その理由を述べる。
目次
勝ち負けの刺激は、明日に重くのしかかる
友情・努力より勝利のほうが気持ちいい
「友情は最高だ!」「努力すれば何でもできる!」と言われても、子供はそれを心の底から理解できない。
友情と努力は、かみ締めてこそ味が出るスルメのような、大人向けの概念。喜びも苦悩もその価値を理解できないままだと、いつかは「きれいごと」として処理されてしまう。
ただし勝利の価値は非常にわかりやすい。勝ったら猛烈に気持ちいいからだ。
勝敗は白黒がはっきりしている。勝てば褒めることを要求できる。
勝利は間違いなく自己肯定感を高める。安直にわたしはすごいと思えるから。
感情を突き動かす小学校の運動会
知り合いの子どもが、勝利をモチベーションにしている。
・・・家に帰ってまで運動会の練習を始めたよしこ(仮名、11才)。
応援団に大抜てきされたようで、「ぴー、ぴー、ぴー」と応援ホイッスルが鳴り響く。
田舎暮らしで周囲の住宅が少ないとはいえ、夜9時まで鳴らされては近所の視線が痛くなる。
よしこは不服そうだったが、今夜の練習は終わりにしてもらった・・・。
がんばる子どもを見ていると、まるで親も肯定されたように誇らしくもあるだろう。
確かに勝利はやる気を引き出す。
しかし、勝ちにこだわりすぎて、子供の優しい性格に悪影響がでないかと懸念を覚えてしまう。
「勝利した者のこそが優秀な人間、敗北したものは劣等者。」という信念が芽生えないかと。
勝利のためには手段を選ばず、負けた人間を虐げる。負けが続くと挫折により精神が破壊され、燃え尽き症候群になる。そんな懸念である。
友情・努力・勝利は一般論化している
子どもは素直だ。素朴な解釈が大好きだ。
「一生懸命がんばらないと、勝てないよ!」と強くうながされたら「勝ちたい」と思う。
勝つことを求められたら、「勝利が目標」なんだと解釈する。
大人は子どもからそんな考えを突きつけられたら、「それだけがすべてではない」と反論する。
しかし、それをうまく言語化して伝えられない。むりやり言葉にしようとすると「友情」「努力」などのありふれた言葉しか出てこない。
深く考えていないことに関しては、一般論を借用するしか言語化できないのだ。
勝ちは甘く負けは苦い……一般論の基準
エンターテインメントの功罪
勝利は、子どもたちにとってあこがれの対象になる。
例えば、漫画では勝利がもたらす達成感をきらびやかに表現する。
そして、その前提として数々の困難がある。苦労して勝ち取るものほど、比較効果で素晴らしく感じるのだ。
苦しみから開放され、勝利へたどり着くギャップに、人は絶頂の快感を覚える。
”見ているだけで胸がはちきれそうな努力からの勝利”を描いた漫画は、それを疑似体験させる。
すなわち、勝利を目指すことは、漫画を面白くするコンセプトでもある。
こうしたギャップは多くのメディアが有効に活用している。
例えば情報番組。不倫報道、汚職事案、隣国の驚異、外国人犯罪のような事件に関心が集まりやすい理由はこう。
まず、メディアが敵を設定する。その敵がいかにひどいやつなのか、じっくり時間を掛けて説明する。
視聴者は怒りや恐怖・疑心暗鬼などのネガティブ感情をあおられ、気分はどん底に落ちる。そして不満をあらわにし敵を攻撃する。
メディアも表情による共感や、同調の呼びかけを駆使して、敵の設定を明確にする。自分の攻撃は正しいと認められた視聴者の気分は高揚する。
そのギャップによる快楽は、一度味わったらやめられず、知らないうちにメディアのとりこになるのだ。
敗北は劣等感を生む
しかし、敗北はストレスの元になる。
勝利を求めたが敗北した場合はストレスを感じる。勝つための準備期間が長ければなおさら辛い。
勝利を得られるのは二分の一、半数だ。
突き抜けた才能を持っていれば常に勝てるが、大多数の人間は勝ち負けを繰り返すことになる。
「私のしてきたことは正しい」と思うことを、勝つことだけに求めていくと、負けた場合は「自分は間違っていた」と感じてしまう。
自己を正しいと思う気持ちがなくなってしまうと、「人より劣っている自分を誰も愛してくれない」と社会に不適合な考え方につながる。
勝利に囚われた末路
やる気がある人ほど燃え尽きる
敗北には「悔しさをバネに」と言う美徳があるが、それは精神力が十分にある場合にのみ通用する。
次は負けないためにもっと努力をすれば、勝てる確率は上がるだろう。
しかし、負けが続くと最後には精神力が枯れ果ててしまう。
自分を支える気力がなくなると、燃え尽き症候群にいたる。
燃え尽き症候群を解消するには多くの時間を消費する。
敗北を認めない4つの後ろ向きなテクニック
一部のトッププレイヤーは、勝利だけに支えられてがんばれる。
しかし、勝利には執着をするが勝ち負けを繰り返す”その他大勢”がすべて、自己不信に陥るかといえばそうではない。
自分のしていることを正しいと思うために、人間はさまざまなテクニックを使う。その自己合理化というテクニックは、心の傷を防ぐが、自分の成長も阻害する。
自己合理化のテクニックは、勝利への欲求より敗北への恐れが上回ったらチャレンジを回避する技。
それは4パターンある。
- 試合拒否
- 井の中の蛙
- 敗北の合理化
- やる意味ない
試合拒否テクニック
文字通りその種目(仕事・趣味など)から遠ざかり、行動自体を控える。敗北により自尊心が傷つくのを恐れ、自己評価を保留することで自己合理化を図る。
一旦、他の種目で勝利の欲求を満たそうとする。しかし、実力が足りないため欲求は満たされず、結局は出戻る。何か他に依存できるものを見つけるまで、それを繰り返す。
井の中の蛙テクニック
勝てる試合(楽な仕事など)にしか挑まなくなる。
勝利の価値は得られるので自己肯定感は保たれるが、チャレンジをしないことに後ろめたさも感じる。
勝利に強い高揚感を得られなくなり、刺激を渇望して何度も楽に勝てる試合に勤しむ。
井の中の蛙の人の周りには、自分より成績が劣る人しかいない。自分の行動を肯定するために無根拠な自信を持ち、時にそれを言いふらす。
試合拒否テクニックと同じように、他の種目に手を出し、また戻ってくるを繰り返す。
敗北の合理化テクニック
強い相手だから仕方ないと諦め、試合内容の評価をしない。まともな分析ができないため改善ができず、いつまで立っても実力が向上しない。
一見「こんな相手から1ポイントとったのだからよく頑張った」と平等な評価をしてそうだが、まるで勝ったような感覚になるため、改善をしようという気が起こらない。
このテクニックは、相手が強いほど自己矛盾がないので成立しやすくなる。相手が弱い場合、その不合理に苦しむことになる。
やる意味ないのテクニック
自分が取り組んでいる種目(仕事・趣味など)で敗北が続くと、その種目自体に価値がないと断定する。
自分たちが取り組んでいることは無意味だと思い込むことで、敗北により自己評価が下がるのを抑えようとする。
以上、いずれかのテクニックを用いると、燃え尽き症候群は防げる。
しかし、やる気を支えるほどには心のエネルギーがない状態が長く続くため、無気力で言い訳がましくなってしまう。
結局、勝利という餌に振り回されていいのは、強くてラッキーな一握りの人間だけなのだ。
勝利には素晴らしい価値がある
勝利は繁栄にために必要な人生の基準
ここまで勝利をボロクソに言ってみたが、勝利が不必要だとは全く思わない。
そもそも、勝利とは前向きな結果を出したものが得られる。
弱いより強い、遅いより速い、醜いより美しいものを人は競う。
強くなったから食物連鎖の頂点に立ち、ボーイング767は時速864キロだ。美容整形をしてブサイクにされたら天地がひっくり返るほどのショックを受ける。
人は勝利へ向かっていったからこそ、今の繁栄がある。
抑圧された心では、真の自由は得られない
では、勝つことが正しければ、勝てないものは淘汰1されれば良いのか?
文明の成長段階によっては、淘汰が必要だった時期はあったかもしれない(実際、それはわからないが)。
時はめぐり、現代の日本には、約1.27億もの人間が暮らしている(2016年)。その人々には憲法で自由権が与えられている。
いくらネガティブな理由で選んだ生活も、自ら選べる以上、それは自由といえる。
しかし、消極的な選択は本来の自由の解釈他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従う
という思想に反する。
健全な願いを持ってこそ、自由を満喫できる。
したいことは意欲を持ってはじめて実現する。
デメリットのない勝ち負けの扱い方
勝利から得られる快楽は有効的に活用したい。しかし、敗北で生じるデメリットは重い。
ならば、そのデメリットを解消すれば、勝利のエネルギーはうまく活用できる。
他のことに例えてみよう。
デメリットが無くなったらタバコですら健康習慣に
「タバコ」はガンなどの健康リスクが以外にも、受動喫煙によって周囲の健康を害す、モラルの問題、火事の危険・・・などやめることが推奨される快楽の一つだ。
なぜ、タバコをやめられないかというと「気持ちいい」からだ。しかも、ほんの少しだけ気持ちいい。その快感を何度も得ようと脳が求め、結局タバコに依存する。
私は元喫煙者なのでよく分かるが、吸っているときには気持ちいいと思っていない。強いて言えば、ちょっぴりスッキリする。
もしタバコに健康リスクが全くなく、煙も出ず、口臭もせず、吸い殻も出ず、火も必要なく、病的な依存にならなければ、ちょっぴりスッキリする”良い面”しか残らない。そうしたらタバコの評価は逆転する。
「受験生は勉強前にタバコを吸いましょう」とか、「当社は朝礼のあと社員全員でタバコを吸います」など、まるでストレッチやラジオ体操のように、仕事の能率化を期待されたかもしれない。
デメリットを排除し、メリットを残す
話を戻す。勝ち負けのデメリットは「敗北による自信の低下」だ。自信の低下が自尊心の低下、自己否定につながっていく。
敗北による自信の低下は強い痛みを伴う。痛みを恐れ、勝利に執着し、攻撃的になったり言い訳がましくなったりと不適応行動を起こす。
ということで、敗北のデメリットを取り除けばメリットしか残らない(すべては取り除けないが、かなり緩和できる)。
勝利によって得られるものは唯一つ、「気持ちいい」になる。
人は快楽を得るために自分を傷つける
もし、デメリットをなくせたら「ギャップのない快楽は弱い」というもう一つの問題が浮き上がってくる。
気持ちが良いだけの快楽は、相対的に弱くなる。お腹が空いているからご飯はおいしい。浮気の不安が恋人たちを燃え上がらせる。苦しみがあるから快楽は際立つ。
誰も、弱い快楽のためには苦しい努力はしない。物事にわずかしか執着できず、困難なことには立ち向かわなくなるだろう。
おさらい
勝利に突き動かされるのは、その先に「気持ちいい」報酬が待っているから。
結局、生物である以上、物事を選択する理由は、快感か不快感だ。
賢い種族の人間は、目の前の快・不快だけでは動かない。想像力を駆使して、快・不快の未来予測をし、自分に最適な行動を取ろうとする。
目標設定の最大の意義は、快楽を最大限にすること。そのために、人生はよりポジティブに向かわなければならない。
よって、成長したものこそがその旨味を勝ち取れる仕組みとなっている。
最後に解説した2点の課題、
- 敗北のデメリットを減らす
- 努力が続く仕組みを作る
これらは正しい目標設定により、解消される。
夢をかなえる目標設定に関するページ
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