承認欲求は嫌われる。誰でも持っている普通の感情のはずだ。
SNSに旅行の写真を上げただけで、陰口を叩かれるのは理解できない。
自分が楽しかった経験をみんなに伝えたかっただけなのにどうして?
表現のみなもとである承認欲求は社会に必要な価値である。
認められたい気持ちを解放すれば、承認欲求を消したいなんて二度と思わない。
目次
承認欲求は短所なのか?正しい理解
誰にでもある社会適応の欲求
承認欲求は現代社会で煙たがられている。
しかし人間の営みになくてはならない大切な感情だ。
その承認欲求には2つの異なる感情がある。
- 自己顕示の欲求
- 安全確保の欲求
自己顕示の欲求
子どもたちは「お母さん見て!」「それはオレが作ったんだ!」と自己顕示欲が強い。
自己顕示欲は「能力を示すために注目を集めようとする欲求」と定義
社会の保護を受けて生きている子どもたちは自分の価値を証明したがる。役に立つことが社会に求められると思っているのだ。
誰かの役に立つのは人の大事な営みではある。本来は生きる価値などあやふやなものが、掘り下げて考えなければ理解ができないだろう。
能力の有無は他の誰かに教えてもらえば手軽に理解できる。
他人に認められることで「あなたは役に立ちますよ」と教えてもらえるのだ。
自分が無力だと感じると、誰にも必要とされないと悲観してしまう。
自己顕示をして社会的な価値を追求する気持ちは大人になっても残る。
安全の確保
特別な能力を示さなくても「邪魔」と思われなければ集団に居続けられる。
目立たないように役割を果たしていけば社会に適応するのだ。
人は集団を作り仲間を守ろうとする。その中からあぶれたら攻撃をされるだろう。
仲間で居られる限り利益を共有できるから、決して和を乱さない。社会は邪魔をしない限り自分を認めてくれることを理解した。
目立たずに集団の一人として振る舞おうとするので、自己顕示の欲求とは反対のアプローチを取る。
以上のように2つの異なる感情が元になっている。
これらはどちらも社会適応するための作戦なので、ほとんどの人が承認欲求を持っているのだ。
承認欲求がない人は変わり者
承認欲求がない人は確かに存在するが、少数派だ。そのパターンは3つある。
- 異常に執着している物事がある
- 他人に人間性を感じない
- 悟りを開いている
異常に執着している物事がある
何かの物質や観念に心を奪われている人は、人との関わりに興味が持てなくなる。
うまく行けば一つのことを突き詰められるので偉業を達成するかもしれないが、社会的に無価値なものに執着してしまうと経済活動が困難になる。
関わりを求めないので、お互いに支え合うような人間関係を作るのは難しい。
他人に人間性を感じない
他人の感情や痛みに共感ができず、物のように考える。そんな人は周囲に害を及ぼす可能性が高い。
欲に突き動かされて暴力をふるい、強奪し、私利私欲の限りを尽くす。
悟りを開いている
承認欲求を消し去り他人に慈愛を向けられる人は、悟りを開いているとしか言いようがない。
実際にそんな人物を見たことはないが、悟りの域に達するのは長い年月や強大な経験が必要だと想像する。
以上のように承認欲求を持っていない人は普通の感覚とは違う。そもそも他人に興味を持っていないのだ。
生まれ持った性格や人知を超えた経験が彼らをそうさせている。
承認欲求がウザいという風潮
グループでランチをしているときに自分の話ばかりする友だちがいたら「ウザい」と陰口を叩かれるだろう。
行動に自己顕示的な承認欲求が透けて見える人は、人から煩わしいと思われるのだ。
それを非難する人たちは承認欲求がないと言えるのか?
考えてみてほしい。
そもそも承認欲求がない人たちは他人に興味を持っていないのだ。自分の話ばかりする友だちがいたところでウザいと思わないだろう。
自己顕示的な承認欲求をウザいと思う人は、友人のアピールにストレスを感じている。
そのストレスは抑圧された自尊心から来ている。
集団を大切に思う人なら、少なからず安全確保の承認欲求を感じている。自分を目立たないように抑え込んで集団に溶け込んでいるのだ。
そんな人でも自己顕示の欲求は持っているが、目立ってしまっては非難されると思っている。
本当は自己顕示したい。しかし自己顕示をすると嫌われるかもしれない。
アピールをする人を見ると、自分の抑圧された自尊心が否定されたように感じて腹を立ててしまう。
自己表現をしたい気持ち
集団の中で己を消すのは消極的な行動である。
本来は子供の頃のように、自分の力を証明したいと思う気持ちが強い。
自分は無能な存在だと信じて疑わない人はメンタルケアが必要だろう。絶望を感じ生きる気力をなくしつつある。
しかしほとんどの人が自分は優秀だと潜在的に信じている。
「自分はやればできる、本気になったら高みを目指せる」という信念を持つ。
現状の自分を変えるには勇気が必要だ。変化に立ち向かうことを恐れている。
安心の確保ができても自尊心は満たせない。人にもらった価値にすがっていては人並み以下だという疑念を抱えたまま生きることになる。
成功を収めるには必ず自己表現をしなければならない。
承認欲求で心を潤そうとする以上、表現をしたいという欲求は消すべきではない。
承認欲求は薄れていく
承認欲求は無くならないが、自分を悩まさない健全な欲求に変えられる。
自分が認めてもらいたいことを適切に表現すれば、幼稚な承認欲求は薄れて人の役に立つ価値が生まれる。
集団の中で安全を求める気持ちも大切だが、自己顕示欲求も満足させたほうが健全だ。
目指すべきは欲求を消すことではない。
欲求を価値に変えることだ。
どうしたら人に嫌がられず、自分をステップアップさせられる表現ができるのだろうか?
強い承認欲求を克服する5つの考え方
1.承認欲求があることを認める
何を承認されたいのか?
知ってほしいと思うことが表現の始まりだ。表現をうまく伝えられれば価値のある情報になる。
まずは自分が何を認めてもらいたいのかを知ることから始めよう。
周りが自分の思い通りにならないことが心を砕いてきた。
「自分はだめだ」と口では言っても、理想通りの自分を認めてほしいと諦めきれない。
しかし本当の自分は理想通りでないことは確かに理解している。
少しはオシャレかもしれないが、めちゃくちゃオシャレではない。自分より頭がいい人は必ず存在する。
自分は何を承認されたいのか自己分析をする。以下に例を出す。
- 服を買ったときにオシャレさをアピールする
- 仕事が早く終わったことを言いたくてしょうがない
- 旅行の写真を見せて優越感を感じたい……など多数
これらのリストアップは一度で終わらせずに日々の生活で感じたことを追加していく。
自分では気づいていない欲求もあるので見逃さないようにする。
自分がどんな行動で承認欲求を感じるか理解できたら、行動を起こす前に作戦を立てられる。
つまり自己プロデュースをはじめられるのだ。
2.反応を予測する
承認欲求はウザいと思われる可能性がある。それは表現者にとって逃れられないことだ。
誰かに反発されると嫌な気分になる。傷つき心が荒むと人前から姿を消したくなる。
理想通りの自分であろうとするからショックが大きくなる。なので前もって反発の予測をしておけばショックは軽減する。
自己顕示したい衝動が生まれたら、前もって反発をリストアップする。
反発の予想:例)オシャレのアピールをしたい
- 私のことが気に食わない人はウザいと思うかもしれない。
- 趣味が違う人はダサいと感じるかもしれない
- 流行に乗っているだけと思われるかもしれない……など
このように予測すれば反発されたときにあきらめが付き、ムリな抵抗をしなくて済む。
しかし悪い予測ばかりすると、表現をする勇気が奪われてしまう。
それに対処するために、現実的な称賛を予想する。反発をひっくり返せば、すんなりと思い浮かぶ。
称賛の予想:例)オシャレのアピールをしたい
- 私のことを好きな人は話すだけで楽しいと思う
- このコーディネートが好きな人がいる
- 流行の格好をしている人は共感するかもしれない
ここで重要なのは「すごいおしゃれ、神、神だわ!」と過度な期待をしないことだ。あくまで現実的な評価は想像できるだろう。
両面で意見を予測すると、自分の表現は良くも悪くもなると理解できる。
3.魅せ方の戦略を考える
承認欲求が嫌われる一番の原因は「押しが強い」ことである。
なぜ強引な表現をするのか?
自分を認めてほしい気持ちが先立って、無計画な表現をするからだ。
自制心を持って価値が伝わる表現をすれば、承認欲求は誰かに役立つ情報になる。
自己アピールの戦略を立てて、反発を最小限にし称賛を最大限にする。
魅せ方の戦略:例)オシャレのアピールをしたい
- 反発しそうな人には話しかけず、笑顔で会釈だけしよう
- 「うまくコーデができたからうれしい」と飾らない正直な自分の気持ちを言う
- 姿勢を良くしてクールに歩くだけでわかってくれる人はいる……など
人は称賛する相手を味方だと感じているはずだ。好意的な行動とはなんだろう?と考えて表現を決める。
自分の表現が見た目についてなら、余計な説明はかえって邪魔になる。ジョークを説明されると笑えないように。
しかし一見では理解できないような芸術なら説明が必要な場合がある
前もって行動を決めておけば、押しの強さはなくなる。さりげない自己アピールが可能だ。
戦略を立てていても始めは失敗するだろう。方法をあれこれ考え続ければいずれ成功する。
たとえ成功してもいずれ飽きられる。承認欲求には試行錯誤が切り離せない。
4.嫌われることを許容する
どんな手段を使っても自分に反発する人は必ずいるだろう。
「一人に嫌われたくらいではどうってことない」と思っていてもショックは感じる。
一つの点を間近で見ると視界を覆う大きな壁になる。すべての人に嫌われたように錯覚するかもしれない。
嫌われることを恐れていては継続的なチャレンジはできない。
嫌われるのは感情が変化したからだ。
表現は感情を動かすことが目的である。嫌ってくれる人がいることは表現に影響力がある証明になる。
他人の反応を恐れて何もしないのは、抑圧した人生を送ると言っているようなものだ。
自分を嫌って離れていく人がいたら変化が起きていると思える。
変化を望んでいるから表現をしているのだ。
多少のネガティブな意見は参考にとどめるか、無視してしまえばいい。
とは言ってもポジティブな変化があったほうが気持ちがいいだろう。
そのために魅せ方の戦略は試行錯誤しなければならない。
5.人を否定ばかりする集団を抜け出す
集団から嫌われることを恐れる人は、自己顕示の欲求を見ると劣等感が刺激される。
「自分はこんなに抑圧しているのに……」と感じ、表現している人を否定するのだ。
現状を受け入れても成長はできない。
嫌われるのを恐れて自分も成長を止めるのか?
表現をしたいと思えるなら、成長をしたいとも願っている。子どものように自分の優秀さを証明したいはずだ。
理想という偽りの自分に振り回されず、本当の自分を生かせば適切な表現ができる。
人の足を引っ張る友人は要らない。
一緒に成長していける友だちを大事にしよう!
おさらい
承認欲求が嫌われるのは、承認欲求を満たせる人が少ないから。
認めてほしいと相手に求めてばかりでは押しが強いと嫌われてしまう。自分を表現したい気持ちを掘り下げると社会に役立つ価値が見つかる。
納得できる価値を提供すれば相手も自分もうれしいのだ。
承認欲求は満たすものではない。
次々と湧き上がる表現の欲求に転換すればいい。
こう考えるだけで、ずいぶん心が楽になる。