自分の子供がいじめをしてしまう。自分はいじめをしないと思っている親たちにはそれが察知できない。
君は知らないうちに子供たちのいじめの主犯格になっていないだろうか?
子供を大事にする親たちに、おすすめの記事。
いじめっ子について思う
このような環境的ないじめの背景では、対象を決める会議がお茶の間で無意識的に行われてる。子供は単に所属欲求を満たそうと誰かをいじめる。矛先を決めているのは親のぼやきでは?https://t.co/PN3vVbBGvJ
— 薬師寺亮 (@ryoyakushiji) 2017年3月9日
最近、福島県出身の子供たちがいじめにあっているとニュースで立て続けに報じられています。僕はこのことについて想像をしていなかった。誤解を恐れずに言うと、差別の発生に無頓着だったのです。僕の固定観念では彼らがいじめられる事を想像しておらず、いじめの要素になりがちなマイノリティ性は無い。単にそのマイノリティ性は47分の1である。地元大分も東京も福島も変わらないということです。
僕は、子供のいじめはいじめる側の承認欲求(主に所属・愛情の欲求)に起因していると考えています。共通の目標があれば、仲間たちの団結力は高まる。ターゲットは部活でも、遊びでも、反社会的行為でも、いじめでもなんでも良い。正か負か、その方向性が周りを巻き込む問題になっているのです。
さて、あなたは自分の子供がいじめっ子にならないために、何か気をつけていることはありますか?多くの親はいじめはいけない事だと言い聞かせているでしょう。例えば、いじめのニュースを見た時。言い聞かせること自体はとても良いことだと思います。その結果、多くの子供たちへ「いじめは悪い」という周知はされているのです。
しかし、それでもいじめは起こります。多くの子供たちは「いじめは悪い」と言う認識はあるが、理解していない。いじめ感情のメカニズムをぼんやりと理解(暗黙知)しておらず共感できない。結果、経験による学びが深まるまで、もしくははっきりと理解するまで、自分がいじめをしていることに気が付きようがないのです。それは子供たちの成長とともに理解の可能性はあがりますが、内省(自分の心の様子を見る)ができない年齢では難しいでしょう。
いじめっ子にしない!親が家庭ですること
親としてできることは「予防」に尽きると思います。子供たちが自らの力で「いじめは悪い」を理解する種まきをしましょう。
「この人を攻撃してもいいんだ」という誤った認識を持たせない
「子供は大人の背中を見て育つ。」多くの場合、親が肯定する事を子供も肯定するのです。例えばテレビを見ている時に不用意なぼやきをしていませんか?「放射能怖いな」とか「賠償金がっぽりだろうな」とか。差別的な意味では言っていないつもりでも、あなたが全体的にかもし出す雰囲気を感じて、その言葉を受け止めます。あなたの中に人を批判するニュアンスがある限り、子供にとっては敵と認定する十分な材料となります。
もしかしたら、いじめっ子グループがいじめの対象を決めたのは「ある親のぼやき」ということもありえます。その子供に影響力があったら、グループの子供たちが同じ方を向いて団結をするのです。まずは子供を嘆く前に、自分の姿を客観視する習慣を持ちましょう。
また、テレビ番組は共感を得るために「特定の敵を作って糾弾する」ことをします。例えば、お笑いのいじり芸・舛添さん糾弾。これで良くも悪くも情報操作されるので、楽しくテレビが見られるのですが、素直過ぎる子供たちには刺激的過ぎる。親たちがそれをしっかり理解して、子供に適切な情操教育をしましょう。
承認欲求を満足させる
人間は欲求が欠落すると、その欲求を解消しようとさまざまな努力をします。自分が認められていないと感じると、人を傷つけてでもその欲求を満たそうとします。それを防ぐために、親はしっかりと愛情を注ぐ・スキンシップを取る・耳を傾ける。勉強やスポーツなどの教育の材料に興味を示し、よく褒め・叱り・また褒める。子供が自分の力で自分の問題を解決する力が養われるように、注意して接していきましょう。
人間の基本的な心理を確認する時に「欲求段階説」を利用できます。詳しくはこちらの図を参照してください。
まとめ
私は、多くの子供の問題は、親が原因なのではないかと思ってしまいます。しかし「なぜなぜなぜ」と突き詰めると、結局は社会構造にぶつかります。社会は、今も昔も、大人たちが思想的な洗練性を得るための教育を、十分には施せないわけです。こうなってくると根本的には誰も悪くない。
大人になった僕らが僕ら自身にできることは、学ぶ習慣を持ち、内省をする材料を得て、十分に内省する。そう思う今日このごろです。